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SLOW LIFE 【4】

「福田せんせー猫飼ったです?」
 携帯電話に新妻からの着信を見て、慌てて電話をとった第一声がそれだった。
 新妻から電話が掛かってくることは滅多にない。アシスタントとして新妻の元で仕事をしていたときですら、連絡がくることは稀だったのに、新妻と同じように連載作家になってからはますますだ。
 大抵電話をかけるのは福田からで、新妻の携帯電話はもはや受信専用状態であると、福田と担当の雄二郎は知っていた。
「雄二郎さんから聞いたのか?」
「そうです! 見に行ってもいいですか?」
「いいけど。うちの場所知ってるっけ?」
 自分から新妻に「猫を飼いはじめた」、という報告は一度もしていない。新妻と共通の知りあいは作家仲間を含めればそれなりにいるが、どう考えても同じ担当である雄二郎に聞いたのだろうということは、すぐに見当ができた。
 何しろこの間雄二郎は、福田の飼い猫から自慢のアフロへのダイブをされてしまったのだから、話題にもなるのだろう。
「住所は知ってますけど、たどり着けるかわからないです。迎えに来てください」
「ええ〜」
 いつも新妻は無理な注文をしてくる。冗談と本気の区別がつき辛く、さらに一度決めてしまったことは、これといった確実に納得した理由がないかぎり覆ることはない。それらは大抵、一般人からすると突拍子もないことだから、新妻と接しているときは驚くことばかりだ。
 新妻の初期のキャリアからアシスタントを勤めていたおかげで、新妻とまともに会話ができる数少ない人間の一人だということは、福田も薄々感じている。
 そして無理なお願いはしても、福田に対しては一応こちらの意見や機嫌を伺おうとしていることも、薄々気付いていた。
 同じ担当編集者である雄二郎には、無理なお願いもごり押しで通そうとするのが新妻だ。
 それを考えたら福田だって雄二郎には言いたいことの全てを言っている気がして、担当する漫画家の二人ともがそれでは、雄二郎も大変だろうか、なんて普段はしない同情を少しだけして、でもやっぱりそんなことはないか、とかぶりを振る。
 雄二郎だって、編集内では自分の考えは率直に言う方だし、野心を隠そうともしない。癖の強い二人の漫画家に対して上手くコントロールしているのだから、出来た編集である。二人に気後れすることもないし、あの新妻を上手く泳がせてコントロールしている。福田にあった題材を見付けてくるし、かなり自由に描かせてくれるが、重要な要所を押さえるところはシビアに指摘するのも忘れない。
 漫画家同様に担当も成長しているのかと思って、今度は感心してしまった。
 まあ、たまには雄二郎のことを褒めてやってもいい。
 結局、この漫画家にして担当有りという状態なのかもしれない。
「行っちゃダメです?」
 返事のない福田の機嫌を伺うように、新妻の声が聞こえた。
 たぶん電話の向こうで、しょんぼりしている姿でいるのだろう。
 いつもの羽帚をスウェットの中に何本も差し込んだ姿で、椅子の上で丸くなっているのを想像して、福田は苦笑した。
「……わかったよ」
 年下であるからか、結局福田は新妻には甘くしてしまう。電話の向こうでいつものテンションを取り戻した新妻に、いつがいいのか予定を聞き出すのに、随分時間がかかってしまって、電話を切ったあとの通話時間にびっくりした。それなのに、新妻と何を話していたか、明確には記憶していなくて、あまりにも他愛のない話だったのだなと、またしても苦笑して、膝の上の特等席に居座る黒猫をひと撫でした。

「おおー福田せんせーの仕事場はじめてです!」
「そうだな。新妻くんとこより狭いけど、ゆっくりしてっていいよ」
「ありがとうございます!」
 電話が来てから間を置かずに部屋を訪れた新妻は、初めて入る福田の仕事場兼自宅に興味津々といったようにあちらこちらに視線を彷徨わせていた。
 東京は怖いだの何だの言って、ろくに買い物すらも行かない新妻の面倒を、スタッフ時代は見ていたのを思い出して、福田は「そういえば」と切り出した。
「師匠、買い物とか行ってる? やっぱりいつも弁当食べてんの?」
「東京怖いです。外出たくないです」
「上京して何年たってんだよ」
「それでも怖いです。なんであんなに人がいるんです?」
 怖い怖いと、眉を寄せた新妻の表情に、福田は呆れながら問うた。
「いつもどうしてんの? やっぱりスタッフに面倒みてもらってんの?」
「雄二郎さんがいろいろやってくれますし」
「ああ……」
 やはり、と納得した表情で頷いた。新妻が上京したのは高校生の頃だ。何も知らない世間知らずの変人(といってもいいだろう)を一人暮らしさせるのだから、編集部としてもかなり気を遣ったに違いない。
 担当である雄二郎は当時もかなり新妻の生活面での面倒も見ていたが、成人してもなお見続けているのか。
「師匠、そろそろ自炊とかすれば?」
「作る余裕がないですし、作れませんし」
 漫画を描くことが、食事よりも好きな新妻のことだから、食べるものなんてどうでもいいのかもしれない。何を食べているのか自覚もないままに食事を終え、漫画を描いている光景がリアルに想像できて、福田は溜め息をついた。
「そのうち身体壊すよ?」
「そういう福田先生は、自炊してるです?」
「うっ、お、俺は、してるさ!」
「本当ですか〜?」
 下から覗き込まれて、思わず赤くなってしまう。実際はほとんどしていないし、新妻の言う通りしている時間があまりない。それはついこの間蒼樹にも同じように指摘されたところだ。
 墓穴を掘ってしまった。
 慌てる福田に助け船を出すように、足下でみゃあと鳴き声がした。
「おおージジですね! 魔女の宅●便ですね!」
 某有名アニメの黒猫の名前を出して、ばさっと持っていた羽帚を広げた。
 新妻のトレードマークである羽帚と、相変わらずのオーバーリアクションに見慣れている福田はなんとも思わなかったが、それを初めて見た飼い猫のほうは、驚いたらしく、びくっと固まってしまった。
 その様子が可笑しくて、福田はくくっと小さく笑った。
「どうしたです?」
「びびってんだよ、新妻くんに」
「そうなんです?」
「ああ」
 恐る恐る近づこうとするところは、まだまだ興味津々の仔猫といったところだろうか。前脚を出しつ引っ込めつつをくり返していた。
「怖がらなくていいです」
 しゃがんだ新妻が、手に持った羽帚をわさわさと動かした。その羽帚の動きに途端に黒猫は興味を奪われる。新妻の操る羽帚を追い掛け回すのに、時間はかからなかった。
「そういえば」
「なに?」
 すっかり猫と打ち解けた新妻が、キッチンでコーヒーを入れていた福田を呼んだ。
「この猫の名前、まだ聞いてないです。」
「そういや、決めてなかった。」
「そうなんです? それはかわいそうです!」
「そうだなあ……」
 コーヒーを啜りながら、うーんと唸る。
「僕がつけてもいいです?」
「師匠が?」
「はい」
「……いいよ。ぱっと思い浮かばないし、何かあるの?」
「クロウはどうです!」
「いやそれ、自分の漫画の主人公じゃん。カラスじゃん!」
「でも真っ黒で似てます!」
「色だけね。なんで俺が、俺の飼い猫にライバル作家のキャラクターの名前つけなきゃいけないんだよ。」
「だめですか……」
 しゅんとうな垂れる新妻に、福田はうっと言葉に詰まる。そうやってあからさまにしゅんとされると、罪悪感に塗れてしまう。これは、作戦なのだ。新妻の福田を陥落させるために作戦に違いない。そうしてあからさまな残念な態度を見せることで、うんと言わそうとしているのだ。福田がこういう顔に弱いのを知っているのだ。
 その手には乗らないぞ、福田はそう思った。
「いい名前だと思ったんですケド。ねえ、クロウ?」
「クロウじゃないし」
 けれど、福田の意思とは逆に、飼い猫はみゃあと新妻に呼応するように鳴いた。
「返事しました!」
「ええ〜」
 新妻の作戦には乗らないぞと思った矢先にこれだ。新妻は調子に乗って、しきりにクロウと連呼した。
 そんな楽しそうな新妻を見ていたら、なんだかどうでもよくなった。
「もう、いいよ、クロウで。そいつも気に入ってるみたいだし?」
「ヤッターピーンです! うれしいです!」
 はしゃいでカラスの鳴き真似をする新妻と、新妻の振り回す羽帚を追いかけるクロウのせいで、福田はへとへとに疲れることになるのは、もう少しだけ、本当にほんのちょっと先の話だろうか。

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