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サプライズゲスト

 池袋駅で西武池袋線へ乗り換えて二駅先の江古田を目指す。
 電車内でじろじろ見られた、当の本人はそれに気づかない。にやける顔そのままに時折「ぶくく」と笑っている男を、近くに座っていた女子高生が不審な目で見ると、隣にいた同じ学校の友人だと思われる少女にこそこそと耳打ちした。
 あちこちで耳打ちされていることも気づかないで、男は江古田駅で降りた。
 江古田駅から徒歩五分。
 打ちっ放しのマンションの角部屋にたどり着くと、ごほん、とわざとらしく咳を一回。インターフォンボタンを押す。
「宅配便で〜す」
 インターフォン越しからも、玄関の向こう側からも「はーい」と間延びした声と同時に、どたどたと廊下を歩く音がした。
 宅配便だと疑いもせずに玄関を開けようとするのは、日頃からこの部屋の住人が宅配便を使っているからだ。
 毎月定期購読しているバイク雑誌が数冊もあるのを知っているし、大量の手紙が入った段ボール箱が届いたり、資料が届くことも知っている。
 何しろ部屋の住人、仮に住人をFとすると、Fのマネージメント的役割を果たしているこの男は、Fの行動が手に取るように判るようだった。Fの性格から、行動特性、予定、プライベート関係まで、大抵のことがわかっている……はずだ。
 キーチェーンとキーロックがはずされる音を聞きながら、男は息を吸い込んだ。
「お荷物のお届けに参りました〜」
「え? ちょ、は? え?」
 玄関扉が開かれると同時に、体をぐいとねじ込んだ。けれど、手に持った大きな荷物がじゃまで、見えているのが自慢のアフロだけという状況を男は判っているのだろうか。
「誕生日に百本のバラの花束、びっくりした?びっくりしたでしょ?というわけで、おじゃましまーす。」
「ちょ、待て! 雄二郎!」
 雄二郎は、待てという制止の声を無視して、靴を放り投げずかずかと勝手知ったる部屋の中へと踏み込んでいった。
 慌ててアフロ編集者を追いかけてきた部屋の住人F──福田は慌てた様子だった。福田の慌てた様子に、雄二郎は満足げだった。
「なんで来たんだよ」
「サプライズバースデーをするために決まってんじゃない。ケーキも買ってきたんだよ?あと新妻くんも来るから」
「なんで!?」
 福田の裏返った声を聞くことなんて滅多にない。
 これはどっきりは成功したと言えるだろう。雄二郎は、うんうんと頷きながら追いかけてきた福田に持っていたバラの花束を押しつけた。
 動かす度にバラの匂いがする。
「先週新妻くんに、福田くんの誕生日もうすぐだねーって言ったら、来たいって言うから」
「はあ!?」
「福田くん、新妻くんに誕生日教えてなかったの? すごくショック受けてたよ、彼」
「いや、俺だって師匠の誕生日がいつなんか知らないし、知ってどうなるもんでもないだろが」
「ひどいなー、祝ってくれる人がいるって幸せなことじゃないの」
「別に雄二郎さんたちに祝ってほしいとか言ってないし、つか、悪ぃ、今日はちょっと、帰って」
「素直じゃないなー」
「いやいや、人の話聞けよ、雄二郎」
 押しつけられたバラの花束と雄二郎を交互に見ながら突っ込む福田を無視して、雄二郎は作業テーブルにケーキの入ったボックスを置く。
「もうすぐ新妻くんも来ると思うからさー、ねえ、福田くん、ケーキ分ける皿とかあるよね?」
「雄二郎さん、今日はまじで遠慮してくんね?」
「なんでだよー!せっかく祝おうと思って来たのにぃ」
「のにぃ、とか語尾伸ばされても可愛くともないっすから、むしろきしょいっすから」
「ひどいよ、福田くん。僕たち福田くんの喜ぶ姿がみたいって思って、サプライズ計画したのに」
 喜ぶ顔ってなんだ、狼狽えた様子が見たかっただけだろう、と言いたいのを我慢して、福田はため息をついた。百本のバラを花束で持ってくるなんて、どんな神経しているんだ、と真っ赤なバラをまじまじと見た。
 どこでバラを買ったのだろう、まさかこのバラの花束を持って電車に乗ったのだろうか。
 恥ずかしいにもほどがある。
 勝手にキッチンを物色する雄二郎にもう一度言った。
「とにかく、本当、今日はだめ。忙しいんだよ」
 そう最後まで言えずに、部屋のインターフォンが鳴った。
「あ、新妻くん来た!」
「え、ちょっと、勝手に出ないでよ!」
 アフロの上に花がぽんぽん浮かんでいるように見える。今にもスキップをし始めそうな雄二郎を捕まえようとしたが、一歩及ばず雄二郎は玄関を開けてしまっていた。
「新妻くん! 迷わず来れた、ん……だ……?」
「ハッピーバースデーです! 福田先生!」
「まじで師匠まで来たのか、よ……あ……」
「こんにちは」
 ドアノブを握って、玄関ドアを開けた状態のままの雄二郎と、その背中に張り付いた福田の二人の目の前に現れたのは、いつも通り羽根箒を至る所に指している新妻だけではなかった。
 青いボーダーのマリン調の服装の蒼樹と、いつものスウェットの新妻という滅多に見ない組み合わせだった。
「途中で蒼樹先生と一緒になって、福田先生のところまで一緒に来たので迷わなかったですー」
「あ、そ……」
 空気も読まずに新妻がへらっと笑った。
 新妻にはひきつった表情を浮かべる雄二郎と福田は見えないのだろうか。
 新妻の横で笑っているように見える蒼樹の表情が、目が、完全に笑っていないのを見て、福田はひくひくと片頬が引きつるのを感じて、なおさらひきつった。
「どうしたんです?」
 やっと様子のおかしい福田と雄二郎に気がついた新妻が首を傾げたが、どうした、と言われてもバカ正直に理由を話すことなんてできない。
 あなたの隣に立つ女の人が怖いんです。なんて言えるわけがない。
 雄二郎が体の半身を捻った。鼻先に当たったアフロから整髪剤の匂いがする。
「もしかして、今日、蒼樹先生と約束してた?」
 福田にしか聞こえないような小さな声で言った。福田は眦をつり上げて雄二郎の顔を見た。
「だから、帰ってって言ったじゃないっすか!」
「だったら最初っからそう言ってよ。蒼樹先生が来るんですって」
「雄二郎さんにプライベートなことまで、全部話す必要があるんすか!?」
「俺の立場が今危ういじゃん!」
「雄二郎さんじゃなくて、俺が一番やばいんすよ!」
「二人ともコソコソ、何話してるんですー?」
 狭い玄関先で、顔をつき合わせて内緒話をする雄二郎と福田の間を割り込んで、新妻が下からにょきっと顔を出した。
 神出鬼没な新妻に、福田も雄二郎も大げさなぐらい驚いた。
「暑いので入れて欲しいんですケド」
 唇をとがらした新妻の格好は、通年お馴染みになっている長袖長ズボンのスウェットだった。
 今日は三十三度を越える真夏日で、日本特有の湿気の多さで体感温度はもっと上のように感じる。風さえあれば、まだ快適に過ごせるのに、今日は無風状態だ。
 新妻は犬のように舌を出していて、福田はその様子につっこみを入れたくなったが、外から内へと浸食してくる負のオーラに口を噤んでしまう。
 ああ、どうしようか。だから無理だと言ったのに、タイミングと要領の悪い雄二郎が憎い。
 相変わらずにこやかに笑っているその顔には、汗一つ滲んでいないように見えた。
「新妻くん、今日は帰ろう」
 同じように蒼樹の氷の微笑みを見ていた雄二郎が言った。恥ずかしながら声が焦りで揺れているのには、誰も突っ込まないでくれるな、と雄二郎は内心で思ったが、新妻の発言でますますどつぼにハマっていくようだった。
「何でですかー? 福田先生のサプライズバースデーパーティーじゃないんです? 蒼樹先生もそのために来たんじゃないんデス?」
 本人曰く、恋愛経験のない永遠の少年は、福田と雄二郎の慌てている原因には思いも至らないのだろうか。いや、むしろ天然を装って、実は何もかもお見通しなのかもしれない。要するにからかって、反応を楽しんでいるのではないか。
 雄二郎は半分泣き笑いのような状態で、新妻の肩をぐいと押し出した。
「福田くん、今日は忙しいらしいんだ。また今度にしよう、な?」
 えー、と抗議する新妻の背中をぐいぐいと押しやって、雄二郎は靴をつっかけて、慌ただしく「おじゃましましたー」と言って出ていこうとする。
 福田は我に返って、「雄二郎、さん!」と声を張り上げながら、部屋の中に消えたかと思うと、玄関にとって返した。
「雄二郎さん、鞄!」
「おお! すまん!」
 投げると雄二郎は器用に鞄を受け取った。
 蒼樹とすれ違いざま、「ごめんねー」と小さく謝ると、新妻の腕を引っ張って、早く、と急かして消えていった。
 嵐が去って、福田はふぅと息を吐くと、ぎくり、と身を堅くした。
「福田さん」
 氷の微笑を浮かべる蒼樹が、福田の名前を呼ぶと、福田は「はい」と背筋を伸ばした。
「ここでは近所迷惑ですから、中に入ってもいいですか?」
「あ、はい、どうぞ」
 妙にカクカクした動きで、福田は玄関の端に寄って、蒼樹がサンダルを脱ぐのを息を詰めて眺めていた。

 部屋に入るなり、フローリングの上で正座をして向き合った。
「どういうことでしょう」
「はい」
 蒼樹の沸点は決して低くはないはずだが、何しろタイミングが悪かった。
「今日は私と以前から約束していましたよね」
「はい」
「二人きりで逢うって約束でしたよね?」
「そうですね」
 福田の誕生日に二人で逢おうと約束を持ちかけたのは、蒼樹からだった。もちろん祝ってもらえるのだろうなと、簡単に予想がつくものだったから、福田は即座に頷いたのだ。
 誰にも言ったことはないが、恋人に誕生日を祝ってもらえるという、願ってもない状況になったことなど、恥ずかしながら二十数年間の人生の中で一度もない。
 だから福田も嬉しかったのだ。
「なんで服部さんと、新妻さんがいたんでしょうか?」
「ええとですね。突然来まして」
「突然」
「帰って、って言ったんですけど、ちょっと、タイミングが悪くて……」
「タイミングが悪い」
「あ、タイミングが悪いっていうのは、向こうが、ですよ?」
 普段は絶対にしないような、デスマス調で、蒼樹に向き合う福田は、福田を知っている人なら目を丸くしてしまうほど、首を竦めて縮こまっていた。
 まるで亀のようだった。
「……全く……」
「すみません」
 サプライズを仕掛けてきたのは雄二郎だったし、自分のせいではない、と正直なところ反論したい気持ちもあったが、言い訳がましくなるのはもっと嫌だった。確かに雄二郎に、蒼樹が来るから、と言えば、もっと早く雄二郎は帰ったかもしれない。
 けれど、なんだか恥ずかしいではないか。
 大ぴらに蒼樹をつき合っていると宣言したことはないし、こういうとき、どうすればいいのかなんて、恥ずかしいことに女性とつき合ったことのない福田には、わからなかったのだ。
「ぷっ」
「へ?」
 ぐるぐる考えて叫び出したくなるほどもんもんとしたものを抱いていた福田の目の前で、蒼樹が肩を震わせていた。
 だが泣いているのではない。
 先ほど聞いた音は──
「福田さん、笑わせないでくださ、い」
 しょんぼりした福田が顔をあげると、氷の微笑みから、心の底から笑んでいる蒼樹の笑顔だった。
「そんな殊勝な福田さんなんて初めて見ました! ああ、おかしい!」
 蒼樹にしては珍しく腹を抱えて大笑いしている様子を見て、福田は「はは」と気の抜けた笑い声をあげた。
「最初は福田さんが、勝手に服部さんと新妻さんを呼んだんだと思っていたんですけど、あまりにも服部さんと福田さんが必死なものだか、途中からおもしろくなってしまって、少し調子にのってしまいました。」
 すみません、と目尻に涙をうっすらと浮かべた蒼樹が笑って言った。浮かんだ涙は笑いすぎによるものだ。
 蒼樹は机の上に置いてあった、雄二郎の置きみやげであるバラの花束を見て、少しだけ目を見開いた。
「バラの花束って……あれ、百本はありますよね」
「ああ、雄二郎のいたずらだから。ああ、腹立つ、まじで」
「情熱的ですねえ」
「似合わない冗談なんか言うな」
 福田は唇をとがらした。
 幼い子供がするような拗ねた表情に、蒼樹は柔らかく笑んだ。
 あんなにおろおろした様子を見るのは初めてだったので、ついつい遊んでしまった。
 雄二郎と新妻には悪いことをしたな、と少しばかり思ったけれど、こちらは一ヶ月以上も前から約束を取り付けてあるのだ。祝う気持ちは同じだと思うが、今日という日だけは、譲って欲しい。
「今日は遊ばれてばっかりだ」
 拗ねて愚痴を言う福田の目の前に、小さめの箱を差し出した。
「何?」
「お誕生日おめでとうございます。プレゼントです」
 夏だからか、青系に統一された包装紙と、幅の広いリボン。
 今日は遊ばれてばかりだ、と拗ねて愚痴を言う福田が、疑うように蒼樹を見るので、「ちゃんとしたプレゼントですから、心配しないでください。」と、少しだけ困ったように笑った。
 恐る恐る箱に手を伸ばし、リボンを解く福田の姿を真正面から見ながら、蒼樹は内心どきどきしていた。
 目の前で自分が買ったプレゼントを開けられる瞬間、相手がどういった反応をするのか間近で確認できてしまうという状況に、少しだけ蒼樹は逃げたくなった。
 元来恥ずかしいのは苦手だ。
 箱が少しずつ解かれていく様子に、蒼樹は次第に恥ずかしさが増して、視線が床へと降りていってしまう。
 まともに福田の顔を見ていられなくなった。
「香水?」
 箱の中から小瓶を取り出して目の前に翳している。紫色の小瓶が、同色の陰を福田に落としていた。
「違うの買おうかなって言っていたじゃないですか」
 ずっと安物の香水をつけているから変えたいな、と以前言っていたのを思い出して、ここは奮発しようと決めた。
「つけてみてもいい?」
「どうぞ」
 そういうと、福田がおもむろに服の裾を持ち上げると、腰を出すと香水をつける。
「腰につけるんですか?」
「手首とかだときついから」
「なるほど……」
「甘い匂いだなー」
 確かに、甘いな、と蒼樹も部屋の中に漂った匂いを嗅いで思う。
 福田のイメージを店員に伝えたら、予想に反して甘い香りのものを選んできた。店員曰く、ワイルドでセクシーな香りらしい。
 福田がセクシーかと聞かれたら、蒼樹は少し首を傾げてしまいそうになる。
 普段は粗野で乱暴だ。ワイルドの部分だけは大きく頷いてしまうところだ。
 けれど、まあ、確かに、寝起きの少しかすれた声だとか、挑戦的な目つきだとか、そういうところは、セクシーなのかもしれない。と、そこまで思って、何を考えているのだろうか、と慌てて頭を振った。
「ありがとな」
 福田がやっと笑って言った。
 香水のせいだろうか、いつもと違うように感じて、蒼樹は途端に顔が赤くなったような気がした。
 心を許したような笑みに、どきどきした。
「……心臓が持たないので、やめてくれますか」
「何の話だよ」
 福田が動く度、香りが揺らいで蒼樹を包み込むようだった。

 店員が、ラストノートが甘美的でセクシーですよ、と言っていたのを思い出す。
 すうすうと寝息を立てるリズムに合わせて、体が動いている。体温で温められて、潜り込んだシーツの中から甘い香りがほんのり漂ってくる。
 体臭と混ざって、テスターで嗅いだ時とは違う匂いのように感じた。
 ワイルドというより、エキゾチックでセクシーだ。
 すん、と鼻を鳴らして匂いを嗅いでしまった。ああ、いい匂い、と蒼樹は微笑んで、寝返りをうって向けられた背中に張り付いた。

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