結婚しようよ
いつのまにか好きになっていたんだと思います。
下手な編集よりも厳しくダメ出しする、と宣言して蒼樹のパンチラ指導を申し出てからどれくらいの月日が過ぎたろうか。
パンチラ指導をした青葉の頃はとっくの昔に終了していたし、今は彼女の作品のネームチェックなどしていない。
元々そりの合わない二人だったから、パンチラ指導がなくなったらそれで接点もほとんどなくなると思っていた。福田組なんて同期の漫画家たちを呼んでいるが、個人的に彼女と親しくなるような接点は皆無だったはずだ。
だけれど、それは福田の検討違いだったのだろうか。
つまるところ、蒼樹との接点は失わせないままだったし、同期の中でたぶん、というか絶対に一番逢っているのは蒼樹だった。
逢えば相変わらず漫画に関して言えば激論を交わし、最終的にはお互いの作風は好きじゃないとまで言ってしまう。それも、出会った頃から全く変わらなくて、結局それを言われたところで、二人にとってはどうでもいいことに思えた。
互いの作風が好きじゃないのは事実だが、互いの能力については認め合っていたからだ。
蒼樹はさすがにストーリキング準キングなだけあって、筋道をつけた構成がうまいし、心理表現がずば抜けて高い。原作者一本でやっている高木曰く、どこにでもあるような無難なストーリーを膨らませる力が高いのだそうだ。
福田はというと、これぞ少年漫画といったスピード感のある漫画を描いてくる。要所要所にギャグもいれつつ、少年が憧れるようなものを題材にする。不良にしろバイクにしろ、男ならかっこよく、一度は少年の誰もが思うようなものを書く。絵は相変わらず荒削りだが、上手い下手を通り越してそれが福田の作風にマッチしているのだから面白い。
普段の生活だって趣味や好みが合っているとは言いがたく、じゃあどうしてこんなに蒼樹が近い存在になったのか、福田はよくわからなかった。
青葉の頃が終わってから、また蒼樹と連絡をとるようになったのはいつぐらいからだったろう。青葉の打ち切りが決まって、最終原稿が終了したとき律儀にも「ありがとうございました」と、礼の電話があったことを思い出す。
そのあと、彼女は平丸と付き合うようになったし、彼氏もちに気安く電話できるほど福田は男女の仲の友情を信じていなかった。
もしかしたら、もうそのときには蒼樹のことが好きだったのかもしれない。
「彼氏もちに」なんて相手のことを思ってしまったということは、少なくとも女として蒼樹のことを見ていたに違いないからだ。
でも彼女はなんの気兼ねもなく、また福田に連絡をとった。
それは仕事仲間としてだったろうし、そのときの福田も同じように仕事仲間として対応したつもりだったのだけれど、なにがどうしてこうなったのか、やはりわからなかった。
今も普通に彼女の漫画のアイデアや指摘をするし、彼女も彼女で福田の漫画のアドバイスをするようになった。
取材と称して、彼女は一人では行きにくいところに福田を連れて行くようになったし、バイクのレースってどういうものなんですか、なんて彼女がいうからわざわざ二人してサーキットまで見に行った。
そのときはレースクイーンに釘付けになった福田に蒼樹が散々文句を言って、最終的には喧嘩になって何をしにいったのかわからなくなったぐらいだ。
そんな二人の状況に周りはなんやかんやと騒ぐのだ。
アシスタントには「それで付き合ってないとかおかしいっす」と言われる。
一番面倒なのは、担当編集者の雄二郎で、「福田くん、女の口説き方教えようか?」とわざわざ本まで買って送り届けてきた。
開封した途端に投げ捨てたが、今思い出しても腹が立つ。
「貧乏揺すり」
「お?ああ、スマン」
イライラして自然と出てしまった貧乏揺すりを、福田の前の席に坐った蒼樹がぴしゃりと注意した。
いつもそこはアシスタントの安岡の席だったが、生憎風邪を引いて休みだ。そもそも初連載のころから最低限のアシスタントしか入れていないので、一人休まれるとぐんと作業が遅くなる。
そんな話を電話でしたら、「手伝いにいきます」と言われて、今に至る。
彼女は今連載を持っていない。ついこの間三年ほど連載していた作品が無事に円満終了して、次回作のネームを作っているところだ。
たぶん……というか、絶対に、これは確証を持って、自分は蒼樹のことが好きなのだ。
どこが好きかと聞かれたら、どこだろう。
強いて言うなら、もういい加減聞きなれてしまった可愛げのない憎まれ口だろうか。それほどまでに一緒にいる時間が長いのかと思って、確かに雄二郎たちが言うように、どうしてつきあっていないのか確かに不思議だ。
ベタ用の筆ペンを持つ指先は、桜色に綺麗に塗られた爪があって、その綺麗な爪にも墨がついていた。
汚れを気にすることなく作業をしている蒼樹を見ながら、ぽつりと言った。
「結婚しちまうか」
「いいですよ」
ぽとりとペンが落ちた音が聞こえて、蒼樹はようやく原稿から顔をあげた。
「福田さん?」
「蒼樹嬢……今、冗談で返した?」
「今の冗談だったんですか。酷いですね」
「いや、本気だけど」
「ならよかった」
「いや、冗談通じないの知ってるけど、それ、本気?」
「私は嘘は言いませんし、言えません」
知ってるでしょう。とメガネのレンズの向こう側から蒼樹の目が語っていた。
「いや、ま、知ってっけど」
それにしても、今のやりとりは何だったのだろう。何が起きたのだろう、良いことか悪いことかの判断もできないほど、福田は混乱していたが、蒼樹はしれっとして、何事もなかったかのように原稿に再度向かった。
だからこそ、冷静な蒼樹が、予想の斜め上を行っていて、福田はどう反応したらいいのかわからなくなった。
「でも、ムードも何もないものですね。原稿やりながらプロポーズされるとは思いませんでした」
「なんつーの?こう、ぼろっと、内心が出たんだよ。こっちこそ拍子抜けだぜ。ちょっとは驚くとか照れるとかしないのかよ」
「必死に隠してるんですって」
そういってひたすら下を向いてベタ塗りをしている彼女の表情はよくわからない。
だから福田もペンを握りなおして、インクの中にペン先を付けた。
「そういえば、私たち付き合ってましたっけ?」
「あ〜?いや、別に」
「ですよね」
「でも周りがうるさかった」
特に雄二郎さんとか。そう言ったら、蒼樹もくすりと微笑んで、うちのスタッフもすごかったですよ。と言った。
「誤解しないように先に言っとくけど、一緒にいてもいいなと思ったから言ったんだけど」
「私も一緒にいれたらいいなと思って返事をしました」
「あそ」
「はい」
結局なんだ、俺たちは結婚することになったのか。
「これ終わったら、出掛けるか」
「どこへ?」
「指輪でも買いに」
「……え、あ……」
頬杖をついて、作業に没頭していた蒼樹を見ながらそんなことを言ったら、先ほどとは打って変わっていきなり蒼樹が顔を上げた。目を見開いて心底驚いた表情をしていた。
視線がかち合うと、ぼっと音がしそうなほど顔を真っ赤にした。
そんな蒼樹を見て、福田は心底呆れた。
この女はやっぱりどこか、ズレている。
「いまさら照れんのか!」
「う、うるさいです!」
見ないでください!と上擦った声をあげて、片手で顔を隠してしまった蒼樹を見ながら福田は笑った。だから飽きない。
あの、と遠慮がちな声がどこからともなく聞こえて、福田も蒼樹もぎくりと身を強張らせた。
「先生、俺いるの忘れないでほしいんすけど」
隣で作業していたアシスタントが、心底居場所がなさそうに「すみません」と言った。
下手な編集よりも厳しくダメ出しする、と宣言して蒼樹のパンチラ指導を申し出てからどれくらいの月日が過ぎたろうか。
パンチラ指導をした青葉の頃はとっくの昔に終了していたし、今は彼女の作品のネームチェックなどしていない。
元々そりの合わない二人だったから、パンチラ指導がなくなったらそれで接点もほとんどなくなると思っていた。福田組なんて同期の漫画家たちを呼んでいるが、個人的に彼女と親しくなるような接点は皆無だったはずだ。
だけれど、それは福田の検討違いだったのだろうか。
つまるところ、蒼樹との接点は失わせないままだったし、同期の中でたぶん、というか絶対に一番逢っているのは蒼樹だった。
逢えば相変わらず漫画に関して言えば激論を交わし、最終的にはお互いの作風は好きじゃないとまで言ってしまう。それも、出会った頃から全く変わらなくて、結局それを言われたところで、二人にとってはどうでもいいことに思えた。
互いの作風が好きじゃないのは事実だが、互いの能力については認め合っていたからだ。
蒼樹はさすがにストーリキング準キングなだけあって、筋道をつけた構成がうまいし、心理表現がずば抜けて高い。原作者一本でやっている高木曰く、どこにでもあるような無難なストーリーを膨らませる力が高いのだそうだ。
福田はというと、これぞ少年漫画といったスピード感のある漫画を描いてくる。要所要所にギャグもいれつつ、少年が憧れるようなものを題材にする。不良にしろバイクにしろ、男ならかっこよく、一度は少年の誰もが思うようなものを書く。絵は相変わらず荒削りだが、上手い下手を通り越してそれが福田の作風にマッチしているのだから面白い。
普段の生活だって趣味や好みが合っているとは言いがたく、じゃあどうしてこんなに蒼樹が近い存在になったのか、福田はよくわからなかった。
青葉の頃が終わってから、また蒼樹と連絡をとるようになったのはいつぐらいからだったろう。青葉の打ち切りが決まって、最終原稿が終了したとき律儀にも「ありがとうございました」と、礼の電話があったことを思い出す。
そのあと、彼女は平丸と付き合うようになったし、彼氏もちに気安く電話できるほど福田は男女の仲の友情を信じていなかった。
もしかしたら、もうそのときには蒼樹のことが好きだったのかもしれない。
「彼氏もちに」なんて相手のことを思ってしまったということは、少なくとも女として蒼樹のことを見ていたに違いないからだ。
でも彼女はなんの気兼ねもなく、また福田に連絡をとった。
それは仕事仲間としてだったろうし、そのときの福田も同じように仕事仲間として対応したつもりだったのだけれど、なにがどうしてこうなったのか、やはりわからなかった。
今も普通に彼女の漫画のアイデアや指摘をするし、彼女も彼女で福田の漫画のアドバイスをするようになった。
取材と称して、彼女は一人では行きにくいところに福田を連れて行くようになったし、バイクのレースってどういうものなんですか、なんて彼女がいうからわざわざ二人してサーキットまで見に行った。
そのときはレースクイーンに釘付けになった福田に蒼樹が散々文句を言って、最終的には喧嘩になって何をしにいったのかわからなくなったぐらいだ。
そんな二人の状況に周りはなんやかんやと騒ぐのだ。
アシスタントには「それで付き合ってないとかおかしいっす」と言われる。
一番面倒なのは、担当編集者の雄二郎で、「福田くん、女の口説き方教えようか?」とわざわざ本まで買って送り届けてきた。
開封した途端に投げ捨てたが、今思い出しても腹が立つ。
「貧乏揺すり」
「お?ああ、スマン」
イライラして自然と出てしまった貧乏揺すりを、福田の前の席に坐った蒼樹がぴしゃりと注意した。
いつもそこはアシスタントの安岡の席だったが、生憎風邪を引いて休みだ。そもそも初連載のころから最低限のアシスタントしか入れていないので、一人休まれるとぐんと作業が遅くなる。
そんな話を電話でしたら、「手伝いにいきます」と言われて、今に至る。
彼女は今連載を持っていない。ついこの間三年ほど連載していた作品が無事に円満終了して、次回作のネームを作っているところだ。
たぶん……というか、絶対に、これは確証を持って、自分は蒼樹のことが好きなのだ。
どこが好きかと聞かれたら、どこだろう。
強いて言うなら、もういい加減聞きなれてしまった可愛げのない憎まれ口だろうか。それほどまでに一緒にいる時間が長いのかと思って、確かに雄二郎たちが言うように、どうしてつきあっていないのか確かに不思議だ。
ベタ用の筆ペンを持つ指先は、桜色に綺麗に塗られた爪があって、その綺麗な爪にも墨がついていた。
汚れを気にすることなく作業をしている蒼樹を見ながら、ぽつりと言った。
「結婚しちまうか」
「いいですよ」
ぽとりとペンが落ちた音が聞こえて、蒼樹はようやく原稿から顔をあげた。
「福田さん?」
「蒼樹嬢……今、冗談で返した?」
「今の冗談だったんですか。酷いですね」
「いや、本気だけど」
「ならよかった」
「いや、冗談通じないの知ってるけど、それ、本気?」
「私は嘘は言いませんし、言えません」
知ってるでしょう。とメガネのレンズの向こう側から蒼樹の目が語っていた。
「いや、ま、知ってっけど」
それにしても、今のやりとりは何だったのだろう。何が起きたのだろう、良いことか悪いことかの判断もできないほど、福田は混乱していたが、蒼樹はしれっとして、何事もなかったかのように原稿に再度向かった。
だからこそ、冷静な蒼樹が、予想の斜め上を行っていて、福田はどう反応したらいいのかわからなくなった。
「でも、ムードも何もないものですね。原稿やりながらプロポーズされるとは思いませんでした」
「なんつーの?こう、ぼろっと、内心が出たんだよ。こっちこそ拍子抜けだぜ。ちょっとは驚くとか照れるとかしないのかよ」
「必死に隠してるんですって」
そういってひたすら下を向いてベタ塗りをしている彼女の表情はよくわからない。
だから福田もペンを握りなおして、インクの中にペン先を付けた。
「そういえば、私たち付き合ってましたっけ?」
「あ〜?いや、別に」
「ですよね」
「でも周りがうるさかった」
特に雄二郎さんとか。そう言ったら、蒼樹もくすりと微笑んで、うちのスタッフもすごかったですよ。と言った。
「誤解しないように先に言っとくけど、一緒にいてもいいなと思ったから言ったんだけど」
「私も一緒にいれたらいいなと思って返事をしました」
「あそ」
「はい」
結局なんだ、俺たちは結婚することになったのか。
「これ終わったら、出掛けるか」
「どこへ?」
「指輪でも買いに」
「……え、あ……」
頬杖をついて、作業に没頭していた蒼樹を見ながらそんなことを言ったら、先ほどとは打って変わっていきなり蒼樹が顔を上げた。目を見開いて心底驚いた表情をしていた。
視線がかち合うと、ぼっと音がしそうなほど顔を真っ赤にした。
そんな蒼樹を見て、福田は心底呆れた。
この女はやっぱりどこか、ズレている。
「いまさら照れんのか!」
「う、うるさいです!」
見ないでください!と上擦った声をあげて、片手で顔を隠してしまった蒼樹を見ながら福田は笑った。だから飽きない。
あの、と遠慮がちな声がどこからともなく聞こえて、福田も蒼樹もぎくりと身を強張らせた。
「先生、俺いるの忘れないでほしいんすけど」
隣で作業していたアシスタントが、心底居場所がなさそうに「すみません」と言った。
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