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桃の気持ち

 真っ赤な顔して走ってた。
 校長室の中。部屋を入ってすぐの場所にそれはあった。
 生徒達と壁を作らないようにという校長の配慮で、校長室はいつもドアが開放されていて、それは廊下からも見えていた。
 だから朝からそれが気になっていたし、放課後の掃除の時間が待ち遠しかった。
 どきどきしながら校長室の中に入ると、しばしその前で立ち止まった。
 これを見るためにわざわざ駆け足で校長室まで来たのだ。
 廊下を走るなんて、普段だったら絶対しない。だから少しだけどきどきした。それを見ることの興奮とは違う、少し悪いことをしてしまったときの好奇心と後ろめたさによるどきどきだ。
 それに興味があることが、どうしてかクラスメイトに知られたくなかった。
 何か言われるかもしれない、という思いもあったし、それを独り占めしたい気持ちもあった。
 果たして、これに気付いている人はどれだけいるだろう。
 自分だけがこれに気付いていればいいのに。
 そうしたら、まるで、これが、自分のもののように感じるのだ。
 両手でほうきをぎゅっと持っていた。そのうち、左手をそっとほうきから離して、それに指を伸ばした。
「あれ、青木だけかよ」
 背後からやたら大きな声が聞こえて、優梨子はびくりと肩を揺らして固まってしまった。
 のばした指をバレないように、不自然にならないようにさりげなく戻そうとした。
 だけど、校長室に入ってきた、優梨子からすれば招かざる客は目ざとく見つけて、優梨子の背後からのぞき込むように手元を見た。
「なに、そのうさぎが気になんの」
「うさぎのお雛さまよ」
「ふぅん。おまえ、こういうの好きだよな。俺は嫌いだけど」
「聞いてないし、別に福田くんが好きでも嫌いでも関係ない」
 福田真太というクラスメイトは、粗雑で声が大きくて、休み時間の度にグループでつるんでいる。
 熱かろうと寒かろうとニット帽を被っているのが特徴的で、先生に注意されてもやめる様子は全くない。
 大抵において彼はグループのリーダー的な存在で、偉そうな態度がクラスの女子達の反感を買っていたけれど、男子達にはすごく人気があった。
 できれば穏やかにすごしたい優梨子には真太は間逆の存在で、疎ましく、そして苦手だった。
「そういえば、ひな人形って言い伝えみたなのあったよな」
 真太がそんなことを言うので、振り返ると、思いがけず顔が近くにあって、優梨子は思わずのけ反った。
「え、」
「知らねーの?ひな祭りの日が終わっても片さないと行き遅れるってやつ」
「何に」
「はあ?嫁にだよ。結婚出来ないってやつ。まじ知んねーのかよ。あ、おまえ、去年もしばらく飾っておいたんだろ」
 ひひひ、と笑う真太の顔に怒りを覚えながらも、頭の片隅にあるのは今年も家の一室に、どん、と構えた大きなひな壇だ。
 祖父母が優梨子のためにと、大きく立派なひな壇を買ってくれた。
 綺麗な衣装をきた人形は豪奢で、値段なんて皆目検討のつかない優梨子だったけれど、それがどれだけ立派なものかわかるくらいだった。
 あまりにも綺麗だからどうしても片付けてしまうのが惜しくて、去年はしばらく出していた気がする。
「ま、青木みたいなやつ貰う相手なんかいないだろうけど」
「うるさい!」
 囃し立てる真太に一喝するも、どうしよう、と優梨子は心配になった。白くて綺麗なウェディングドレスを着て、王子様みたいな人と結婚するのが夢なのに。
 真太に弱みを見せることは屈辱だったけれど、そんな顔をしていることも気付かない程、優梨子は不安になった。
 そんな優梨子に真太はまだ笑っていた。
「行き遅れたら俺が貰ってやるよ!」
「うるさいったら!」
 にやついた真太の顔がイライラする。だけど、優梨子のイライラした表情も真太に
とっては面白いのか、睨んでやると片眉を器用にあげて「おーコワ」と冷やかした。
「じゃあな!俺用事あるから帰る!」
「え、ちょっと!掃除!」
「別にこーちょーいないし、いーんじゃねーの?やんなくても!」
 じゃあな!と言って逃げるように駆けて行く真太の後ろ姿を見ながら、優梨子は真太の言った言葉を反芻した。
「行き遅れたらって……え、ち、ちょっと、待って、」
 真太はなんと言ったっけ。
「なんで、私があんたに貰われなきゃいけないのよ!」
 もう姿が見えなくなった廊下に向かって優梨子は怒鳴った。
「おや、今日は元気のいい子が掃除当番なのかな?」
 と、校長室に戻ってきた校長にそう言われた優梨子の顔は、真っ赤に染まっていた。

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