ぬるま湯な日々
まるで囚われてしまったかのように、抜け出せない。
「青木先輩って、どういう基準で好きになるんですか?」
そう言って、後輩である気の強い女の子は、やはり蒼樹を強い目で見ていた。
秋名愛子は目力の強い女性だ。態度や言動も強いが、それ以上に目力が強い。彼女の目は常に何かを挑むように他人を射抜く。そこには絶対的な自信と自尊心が隠すこともせずに存在しているのだが、最近はそれだけではない何かが彼女の瞳の中に宿るようになった。それは一見すると今までの自信と同じもののように感じるのだが、やはりそう断言するには違うような気がするのだ。でもそれが何であるかは蒼樹にはわからない。
「えっと、何が……?」
「だから、男の人のどういうところを好きになるのかってことです」
「あ、そういうこと」
日頃の担当者との打ち合わせも激しいらしいと、蒼樹の担当編集者である山久に聞いたことがある。秋名はその癖が出ているのだろうか、初めて出会ったときよりもより一層、感情をストレートに強く押し出してくる。だけれどそこに、以前のような子供じみたものはあまりない。秋名は彼女なりに仕事をしていくなかで確実に成長しているのだということがわかる。
そういえば秋名同様に、福田も担当編集者にストレートに自分の思いの丈を言い放つ作家だなと蒼樹は思いを巡らせた。
「先輩、聞いてます!?」
テーブルをばしっと叩かれて、蒼樹は思わず肩を竦めて秋名に向き直った。
蒼樹のその様子に秋名は目を丸くして、すぐに小さく「ごめんなさい」と言った。
何も謝ることはない、話に集中していなかったのはこちらのほうだ。
こういうところが変わった。一体彼女に何があったのだろう。
通っていた大学の付近を歩いていたら、たまたま秋名と遭遇した。もちろん秋名は現役の大学生なのだから、学校のそばで出くわすというのは十分考えられる。
初めての出会いは、秋名のほうから声をかけてくれたが、それ以降彼女をお茶に誘ったり、声をかけたりするのは決まって蒼樹のほうからだった。
「要するに、どういう人を好きになるかって、ことだよね?」
「まあ、そうですね」
「やっぱり、優しいところかな……」
とにかく暴力的でなくて、優しい人が好きだ。身体的な暴力行為はもってのほかだが、言葉や態度が粗暴な人もできれば遠慮願いたい。スマートで、優しい人。
「随分と抽象的ですね。具体的にいうと、どういうところなんですか?」
「具体的……えっと、例えば……?」
「例えば?例えなんて必要なんですか?今付き合っている方がいらっしゃるじゃないですか。その人のどこかが好きで付き合っているんですよね。どこが好きか考えればいいんじゃないですか」
秋名は一度で話のつかない蒼樹に次第に苛立ってきているのか、いらいらとした口調で言った。眉間には皺が寄り、難しい顔をしている。
なんだか秋名と他愛ない会話をしたいのに、いつもこんな表情をさせてしまうな、と蒼樹は思った。
今付き合っている人。平丸一也を思い浮かべて、蒼樹はむむっと唸ってしまう。
「ええっと、だから、優しいところなんだけど……。あとは……そうね、かわいいところ?私より年上なのに、妙に子供じみているっていうか、甘えてくるっていうか、そういうところかな」
「母性をくすぐられる人が好きってことですか?」
「母性かぁ……それとも違うような気もするけれど。私がいなくちゃこの人はだめなんだ、なんて思ったりはしないし、むしろもうちょっとしっかりして、とは思うけれど」
なんというか、平丸は、仕方が無いなあと思ってしまうことが度々だ。平丸は基本的に優しい。付き合う前から空回りのしている人だけれど、それは付き合ってからも変わらない。思い込みの激しい人で、どんな切欠でテンションがあがるのか、いきなり下がってしまうのかよくわからない。だけれど、どれも周囲の人間からすれば「つまらない」もので、本人からすると「重大な」ものなのだ。
そういうところが、仕方が無い人だなあと思うのだ。蒼樹はただそれに笑っているだけで、笑っている蒼樹を見て平丸はうれしくなっているのだということだけは分かる気がする。
スマートで優しい人というには些か語弊があるかもしれない。
甘えたがりの仕方の無い人。いつも蒼樹を喜ばそうとして空回りのする人。
平丸についていなければダメになってしまう、とは全く思わないが、仕方が無いなと放っておけない気持ちがあるのも確かだ。それを母性と言うのだろうか、言うのかもしれない。
そうか、これは母性というのか。
だから嵐のような激情も、夏のような熱い熱もないのだろうか。
平丸との付き合いは、縁側に出て丸まった猫を撫でているような、ぬるま湯に浸かったような感覚に似ているかもしれない。
「私は才能のある人、才能を認めてくれる人です。お互いが刺激になって、お互いが成長できるような、切磋琢磨できる人が好きです。そうでなければつまらない」
「好きな人っていうより、ライバル……のような感じなのね」
「男であるとか、女であるというより、人間として好きになれるかどうかです。私は私が認めた人しか好きになれない」
「認める……」
「この人には才能がある、能力がある。その力を出しつくせる人かどうか」
秋名の瞳はやはり力強い。
今やその力強さは、我儘でも独占欲や酷い自尊心などではなく、清らかに燃え続ける炎のようだった。
強く語る秋名に圧倒されて、蒼樹は二の次が出なかった。
何も言えずにいる蒼樹をじと目で見ながら秋名は言った。
「先輩は男の人を見る目がないです。他人の趣味に口を挟むのはナンセンスですけど、私には一体どこに魅力があるのかさっぱりわかりません」
愛子がきっぱりと言い切った相手はやはり平丸のことだろう。
「でもすごく私のこと好いてくれるのよ?すごく嬉しいじゃない?だから私は、彼の気持ちに応えてあげたいの」
「……先輩って、すごく雰囲気に飲まれやすいタイプの人なんですね」
秋名はわからないと言った風に首を横に振った。
「先輩には負けたくないライバルっていますか」
「ライバル……」
そういえばライバルと良く口にした作家がいた。ライバルであり仲間であるから、放っておけないのだと、いつでも他人のことに口を出すような人が。
あの時、初期のキャリアの蒼樹にとって彼らは──彼は完全にライバル、いや敵だった。絶対に負けたくない。自分自身とは対極にある彼には絶対に負けられないし、負けることは蒼樹の自尊心を、蒼樹の自己証明を覆されるようなそんな激しい思いでいたものだ。
結局のところ、彼には負けたということだろうか。自分の作品は打ち切りが決まって、彼の作品は連載を続けたのだから。
他人のことばかり考えているのかと思ったら、自分自身のことにはもっと強かで、もっとストイックで厳しい人だったのだ。一度目の連載に自分で区切りをつけ、対外的に言えば円満終了ということだ。一度も打ち切り候補に挙がらず、なおかつ終了直後から次回作の連載が決まっていたのだから。
考えれば考えるほどに、彼は本当に自分に厳しい人だ。今の立ち位置に甘んじない。常に上を目指そうとし、周囲にも同じ舞台に上がれるように手を差し伸べる。
福田も秋名も似たようなところがあるのだと思った。
そしてそれは、蒼樹には持っていないものだ。
しかしそこで、はて、と思いとどまる。
本当に持っていないものなのだろうか。かつて蒼樹は同じようなものを持っていたのではないだろうか。上を目指して、人気作家を目指して粉骨邁進しようとしていたときがあったのではないだろうか。
いつからこの現状に甘えるようになったのだろう。
適当に、適度に、打ち切りにならない程度に頑張ればそれでいい。それなりにやれれば、それでいい。そんな考え方をするようになってしまったのは、一体いつからだろう。
漫画を描くことも、漫画を読むことも、本気で楽しんでいるのだろうか。
本気で楽しませようと思っているのだろうか。
蒼樹はそれに気付いて愕然とした。いつからこんなぬるま湯に浸かるようになってしまったのだろう。
「青木先輩」
知らず俯いてしまった顔を上げると、相変わらず熱の篭った秋名の瞳が蒼樹を射貫いていた。
瞳の中にゆらゆらと揺れている静かな炎も、挑戦的な言動も、秋名の姿に福田が重なって見えた。
「青木先輩って、どういう基準で好きになるんですか?」
そう言って、後輩である気の強い女の子は、やはり蒼樹を強い目で見ていた。
秋名愛子は目力の強い女性だ。態度や言動も強いが、それ以上に目力が強い。彼女の目は常に何かを挑むように他人を射抜く。そこには絶対的な自信と自尊心が隠すこともせずに存在しているのだが、最近はそれだけではない何かが彼女の瞳の中に宿るようになった。それは一見すると今までの自信と同じもののように感じるのだが、やはりそう断言するには違うような気がするのだ。でもそれが何であるかは蒼樹にはわからない。
「えっと、何が……?」
「だから、男の人のどういうところを好きになるのかってことです」
「あ、そういうこと」
日頃の担当者との打ち合わせも激しいらしいと、蒼樹の担当編集者である山久に聞いたことがある。秋名はその癖が出ているのだろうか、初めて出会ったときよりもより一層、感情をストレートに強く押し出してくる。だけれどそこに、以前のような子供じみたものはあまりない。秋名は彼女なりに仕事をしていくなかで確実に成長しているのだということがわかる。
そういえば秋名同様に、福田も担当編集者にストレートに自分の思いの丈を言い放つ作家だなと蒼樹は思いを巡らせた。
「先輩、聞いてます!?」
テーブルをばしっと叩かれて、蒼樹は思わず肩を竦めて秋名に向き直った。
蒼樹のその様子に秋名は目を丸くして、すぐに小さく「ごめんなさい」と言った。
何も謝ることはない、話に集中していなかったのはこちらのほうだ。
こういうところが変わった。一体彼女に何があったのだろう。
通っていた大学の付近を歩いていたら、たまたま秋名と遭遇した。もちろん秋名は現役の大学生なのだから、学校のそばで出くわすというのは十分考えられる。
初めての出会いは、秋名のほうから声をかけてくれたが、それ以降彼女をお茶に誘ったり、声をかけたりするのは決まって蒼樹のほうからだった。
「要するに、どういう人を好きになるかって、ことだよね?」
「まあ、そうですね」
「やっぱり、優しいところかな……」
とにかく暴力的でなくて、優しい人が好きだ。身体的な暴力行為はもってのほかだが、言葉や態度が粗暴な人もできれば遠慮願いたい。スマートで、優しい人。
「随分と抽象的ですね。具体的にいうと、どういうところなんですか?」
「具体的……えっと、例えば……?」
「例えば?例えなんて必要なんですか?今付き合っている方がいらっしゃるじゃないですか。その人のどこかが好きで付き合っているんですよね。どこが好きか考えればいいんじゃないですか」
秋名は一度で話のつかない蒼樹に次第に苛立ってきているのか、いらいらとした口調で言った。眉間には皺が寄り、難しい顔をしている。
なんだか秋名と他愛ない会話をしたいのに、いつもこんな表情をさせてしまうな、と蒼樹は思った。
今付き合っている人。平丸一也を思い浮かべて、蒼樹はむむっと唸ってしまう。
「ええっと、だから、優しいところなんだけど……。あとは……そうね、かわいいところ?私より年上なのに、妙に子供じみているっていうか、甘えてくるっていうか、そういうところかな」
「母性をくすぐられる人が好きってことですか?」
「母性かぁ……それとも違うような気もするけれど。私がいなくちゃこの人はだめなんだ、なんて思ったりはしないし、むしろもうちょっとしっかりして、とは思うけれど」
なんというか、平丸は、仕方が無いなあと思ってしまうことが度々だ。平丸は基本的に優しい。付き合う前から空回りのしている人だけれど、それは付き合ってからも変わらない。思い込みの激しい人で、どんな切欠でテンションがあがるのか、いきなり下がってしまうのかよくわからない。だけれど、どれも周囲の人間からすれば「つまらない」もので、本人からすると「重大な」ものなのだ。
そういうところが、仕方が無い人だなあと思うのだ。蒼樹はただそれに笑っているだけで、笑っている蒼樹を見て平丸はうれしくなっているのだということだけは分かる気がする。
スマートで優しい人というには些か語弊があるかもしれない。
甘えたがりの仕方の無い人。いつも蒼樹を喜ばそうとして空回りのする人。
平丸についていなければダメになってしまう、とは全く思わないが、仕方が無いなと放っておけない気持ちがあるのも確かだ。それを母性と言うのだろうか、言うのかもしれない。
そうか、これは母性というのか。
だから嵐のような激情も、夏のような熱い熱もないのだろうか。
平丸との付き合いは、縁側に出て丸まった猫を撫でているような、ぬるま湯に浸かったような感覚に似ているかもしれない。
「私は才能のある人、才能を認めてくれる人です。お互いが刺激になって、お互いが成長できるような、切磋琢磨できる人が好きです。そうでなければつまらない」
「好きな人っていうより、ライバル……のような感じなのね」
「男であるとか、女であるというより、人間として好きになれるかどうかです。私は私が認めた人しか好きになれない」
「認める……」
「この人には才能がある、能力がある。その力を出しつくせる人かどうか」
秋名の瞳はやはり力強い。
今やその力強さは、我儘でも独占欲や酷い自尊心などではなく、清らかに燃え続ける炎のようだった。
強く語る秋名に圧倒されて、蒼樹は二の次が出なかった。
何も言えずにいる蒼樹をじと目で見ながら秋名は言った。
「先輩は男の人を見る目がないです。他人の趣味に口を挟むのはナンセンスですけど、私には一体どこに魅力があるのかさっぱりわかりません」
愛子がきっぱりと言い切った相手はやはり平丸のことだろう。
「でもすごく私のこと好いてくれるのよ?すごく嬉しいじゃない?だから私は、彼の気持ちに応えてあげたいの」
「……先輩って、すごく雰囲気に飲まれやすいタイプの人なんですね」
秋名はわからないと言った風に首を横に振った。
「先輩には負けたくないライバルっていますか」
「ライバル……」
そういえばライバルと良く口にした作家がいた。ライバルであり仲間であるから、放っておけないのだと、いつでも他人のことに口を出すような人が。
あの時、初期のキャリアの蒼樹にとって彼らは──彼は完全にライバル、いや敵だった。絶対に負けたくない。自分自身とは対極にある彼には絶対に負けられないし、負けることは蒼樹の自尊心を、蒼樹の自己証明を覆されるようなそんな激しい思いでいたものだ。
結局のところ、彼には負けたということだろうか。自分の作品は打ち切りが決まって、彼の作品は連載を続けたのだから。
他人のことばかり考えているのかと思ったら、自分自身のことにはもっと強かで、もっとストイックで厳しい人だったのだ。一度目の連載に自分で区切りをつけ、対外的に言えば円満終了ということだ。一度も打ち切り候補に挙がらず、なおかつ終了直後から次回作の連載が決まっていたのだから。
考えれば考えるほどに、彼は本当に自分に厳しい人だ。今の立ち位置に甘んじない。常に上を目指そうとし、周囲にも同じ舞台に上がれるように手を差し伸べる。
福田も秋名も似たようなところがあるのだと思った。
そしてそれは、蒼樹には持っていないものだ。
しかしそこで、はて、と思いとどまる。
本当に持っていないものなのだろうか。かつて蒼樹は同じようなものを持っていたのではないだろうか。上を目指して、人気作家を目指して粉骨邁進しようとしていたときがあったのではないだろうか。
いつからこの現状に甘えるようになったのだろう。
適当に、適度に、打ち切りにならない程度に頑張ればそれでいい。それなりにやれれば、それでいい。そんな考え方をするようになってしまったのは、一体いつからだろう。
漫画を描くことも、漫画を読むことも、本気で楽しんでいるのだろうか。
本気で楽しませようと思っているのだろうか。
蒼樹はそれに気付いて愕然とした。いつからこんなぬるま湯に浸かるようになってしまったのだろう。
「青木先輩」
知らず俯いてしまった顔を上げると、相変わらず熱の篭った秋名の瞳が蒼樹を射貫いていた。
瞳の中にゆらゆらと揺れている静かな炎も、挑戦的な言動も、秋名の姿に福田が重なって見えた。
PR
Special thanx
About
sunday morning

http://3daymorning.3rin.net/
iwanoriojisan-webtool★yahoo.co.jp
http://3daymorning.3rin.net/
iwanoriojisan-webtool★yahoo.co.jp
