花酔い2
甘い匂いが漂っていた。
バターや砂糖をたっぷり使った菓子の焼きあがったにおいではない。福田は頭を巡らした。何の匂いだろうか。
「花の香り?」
なんの花の香りだろう。全く花には詳しくないので、見当がつかない。
一面の花畑にいるような感覚。空気のとてもすんだ、高原に広がる花畑。温室に大切に大切に育てられたバラの噎せかえるような濃い香りではなく、クリアで、けれど包み込むような柔らかな香り。たくさんの花の香りが複雑に混ざりあっているのに、不思議と透き通った香りがした。
まるで計算されつくした高級なパフュームのようだ。
香りは優しく身体を包んで、もう少しだけ、温かなこの場所に留まっていたい。
柔らかな何かに鼻を近づけて、すん、と吸うと、柔らかな甘い香りに身体中が満たされるようだった。
花の香りに癒されるなんて、全く自分らしくない。
けれど、この香りに、温もりに、柔らかさに、甘さに心が安らいだ。
好きだな。
純粋にそう思った。
意識が急激に浮上した。自然と目が覚めて、福田はぱちくりと瞬きを繰り返した。随分と身体の重みが消え、疲れが取れたようだった。
夢を見ていたような気がした。どんな夢だったか、あいにく覚えていない。夢を見た、そんな気がしているだけだ。
寝返りをうつと、部屋の入り口が開けっ放しだった。部屋のドアを毎回閉めるようなことはしない。部屋をオープンにしておくことに対して、全く気にならない。
一人暮らしだったし、スタッフが入るといっても男ばかりだ。だから余計に気にしなくなった。
ぼんやりと見つめる開かれたドアの向こうで、何度か誰かが横切っていった。
それは女だった。
誰かなんて一人しかいない。寝ている間に、別の違う誰かが部屋に入っていなければの話だが、違う誰かがなんてまるで思いつきもしないほど、女との交流はない。違う誰かだとすると、泥棒ということになってしまう。
が、その可能性はほとんどない。
「……何を見ているんですか」
福田が目覚めたことに気づいた蒼樹が、ぼんやりと焦点の合わない虚ろな目で、開かれたドアの向こうを見つめている福田に声をかけた。
欠伸をすると、自然と出てきた涙を親指で拭った。
「いや、別に」
「視線を感じているんですけど」
「気のせいっしょ」
「うそばっかり……」
はあ、とため息と共に言われた言葉を無視する。何を見ていたのかと聞かれても、何も見ていなかったと答えるほかない。
正確に言うならば、目には映っていたが、脳で認識されていない。要するにぼんやりとしていた、ということで、何を、と言われても答えようがない。
嘘ではなかったが、蒼樹の言葉を否定する気にもなれない。一を言うと、十で返ってくる女だ。福田はもう一度、くぁ、と欠伸をした。
「今何時?」
「七時です」
「……ん?」
確か、彼女が家に来たのが夕方六時頃である。仕事が終わって一緒に食事でもしようということになって、蒼樹が食材を買ってきたところだったはずだ。
福田は疲労がピークに達し、仮眠を取るといって、ベッドに入った。
カーテンを閉めた覚えはなかったが、ここ数日、開けていなかったのかもしれない。
なにしろ、締め切りが明けるまでの修羅場中の記憶が、すっかり抜け落ちてしまっているからだ。
けれど、完全に閉じられていないカーテンの隙間から漏れてくるのは、どう考えても光だ。
そう、明るい光なのだ。
「朝ですよ。」
「うそっ!」
「本当です」
勢いよく起きあがって、カーテンを開ける。蒼樹の言ったように、外はさんさんと輝く太陽があった。
ああ、なんてさわやかな朝なんだろう。
完全に蒼樹のことを放って寝入ってしまったのか。蒼樹と一緒にご飯を食べる約束を、完全に反故にしてしまった。福田は慌てて謝った。
「悪い」
「もういいですよ」
蒼樹の口調は多分に呆れが入っているようで、「もういいですよ」の意味に、呆れ以外の意味が含まれているような気がして考えてしまう。心なしか青ざめた福田を、ベッドサイドまで来た蒼樹は見下ろしていた。
さすがにこれはまずいだろう。福田は顔をひきつらせて、見下ろしてくる蒼樹を見上げていた。逢えば些細な言い争いをしてしまう。周囲から言わせれば、バカっぷるで、ケンカっぷるらしいのだが、なんだかそれは心外だ。認めがたいが、確かにつまらない喧嘩をしている。けれどそれは、喧嘩や言い争いというよりも、蒼樹と福田の二人にすれば、恋人になる前からの癖のようなもので、そもそも正反対の性格をしている為に、ぶつかってしまうのが当たり前になってしまっている。
「そんな顔をしないでください。怒っていないですから、大丈夫です。」
どんな顔をしているか、福田自身にはわからなかったが、相当情けない表情をしていたのだろう。
困ったように眉を八の字に下げた蒼樹の表情をみて、福田はようやくほっと息を吐いた。ひきつった頬を両手で擦っていると、蒼樹がころころと笑った。
「福田さんを慌てさせるなんて、私も成長しましたか?」
「俺は、蒼樹嬢関連で落ち着いていたことなんて、いろんな意味でないぞ。」
「そうですか?」
「そうだよ。悔しいことにさ」
「そうだったんですか。てっきり、私ばっかり慌てているものだと思っていたのですけど」
「それはないだろ?俺は慌てさせるようなことは、見に覚えがないんだけど?」
「それはお互いさまということでしょう。私だって、福田さんを慌てさせるようなことをしているとは、自覚をしていませんでしたよ?」
「よく言うよ」
人を好きになるということが、福田にとって蒼樹がほとんど初めてに近いことと言えた。だから、自分の嫉妬深さや、執着心を、蒼樹と関わるうちにことあるごとに、初めて直面し、困惑している。
蒼樹に振り回されっぱなしだ。
そういえばと、ふと福田は疑問に思って、それをそのまま口にする。脈絡のない話のせいで、蒼樹は少し眉間に皺を寄せた。
「寝た?」
「はい?」
福田が寝入ってしまってから夜が過ぎ、朝が来てしまったわけだが、その間、蒼樹はどうしていたのだろうと、気になったのだ。
まさか一晩中起きていたわけではあるまい。蒼樹だって、福田同様に仕事明けなのだ。
彼女は女性だから、福田のような無茶はあまりしない気がした。けれど、漫画家として彼女が再スタートを切るきっかけとなった作品──青葉の頃で、寝る間も惜しんで描け、手を休めるなと教えたのは、紛れもなく自分だ。
「ちゃんと寝た?」
「寝ましたよ」
「どこで?」
「言わなきゃだめですか」
「うん、だめ」
言いよどむ蒼樹に、福田は間髪入れず即答する。それでも口をもごもごと動かしている蒼樹に、「早く」と急かすと、蒼樹は観念して目をつむると口を開いた。
「……ベッドをお借りしました」
福田は、はぁ?と聞き返したくなったが、結局その言葉がでる前に、蒼樹の言った意味を理解してしまった。おかげで、は、の形に口を開いたまま、蒼樹を凝視するという、かなり間抜けな表情になってしまった。
要するにそれは、福田の寝ている隣に滑り込んだということだ。
こちらが意識のない間に、隣に蒼樹がいたということになる。
これは、随分と美味しい魚を逃がしたものだ。
意識がなかった自分を呪いたい。好きな女が隣で寝ているのに、爆睡していたなんて、それでは蒼樹も呆れるというものだ。
それに何より、男が廃る。
「……っ、そういうときは起こせよ!」
「気持ちよさそうに寝ているのに起こせませんし、起こすのだったら、一緒になんか寝ません。」
「とんだツンデレだな」
「ツンデレなんかじゃありません」
彼女がツンデレでなかったら、他に彼女を形容する言葉が思い浮かばない。かなりのツンデレ具合に、福田組の面々がかつて、一様に驚き、とある小さな事件に巻き込まれたことを彼女は忘れてしまっただろうか。
普段ツンとしたクールビューティーが、デレるという破壊的な状況を福田は蒼樹という人物に出会って初めて経験したことだ。
彼女のデレで、何人の男が破滅的な運命を背負ったかわからない。
彼女が与える破壊的、破滅的な影響とは必ずしも悪いものばかりではないが、男の心境としては、関わらなければよかったのに、と思うところもあるのだ。
彼女は知らず知らず、他人を自分の魅力にはめてしまう。
自分のその中の一人の人間なのだ。
認めたくないとあらがいていた時期があったが、今はもう、認めてしまった方がいいような気がしていた。明らかに、誰が見ても、自分自身を客観的に見ても、自分は蒼樹に惚れているのだ。
「起きてくださいよ。十二時間は寝ているのですから、寝たりないとは言わせませんよ。」
「……うるさいなあ……堪能してんだよ」
「何をです?」
「言わなきゃだめ?」
「だめです」
「でも、言わない。」
「なんですか!もう!」
周囲にはもうちょっと優しいはずの蒼樹が、なぜだか福田には少し冷たいのは、それが実は照れ隠しだった。強がりを言うのに、本当は弱いところを気づいてほしいと思っている。抱きしめると良い匂いがする。
そうして心底蒼樹に惚れているなんて、彼女に言ってやらない。
「ちょっと、またど触ってるんですか!」
「足」
「わかってます!」
ベッドサイドに立つ蒼樹のきれいな足を撫でた。
そこに蒼樹がいたら、自然と手が伸びてしまう。蒼樹のきめ細やかな肌に触れていたいと思う。触れて、抱きしめて、首筋に顔を埋めて、匂いを嗅ぎたい。変人ではない、と言い切りたいが、大変な癖がついてしまった。
「もうちょっと寝ていようよ」
「はあ?」
「こっちこいって」
約束を反故にしてしまったお詫びをしてやらなきゃ。今日はせっかくのオフだ。買い物をしたり、遊びに出かけたり、いろいろ予定は考えていたのかもしれないが、ベッドの中でごろごろしているのも、いいじゃないか。
非生産的で、無計画的だと蒼樹はぷりぷりしているけれど、ベッドにひっぱりこんで抱き込んでしまおう。
そうしたらきっと何も言えなくなってしまうに違いない。
蒼樹の右手を取ると、女性特有の柔らかさと、職業柄できたペンだこがある。その手が愛おしくて、福田は知らず笑みをこぼした。
だめだ。何かもが愛おしいなんて、この甘い匂いに酔ってしまったんだ。
心地よい酩酊感に、福田は笑いながら蒼樹をベッドに引きずり込んだ。
...end
バターや砂糖をたっぷり使った菓子の焼きあがったにおいではない。福田は頭を巡らした。何の匂いだろうか。
「花の香り?」
なんの花の香りだろう。全く花には詳しくないので、見当がつかない。
一面の花畑にいるような感覚。空気のとてもすんだ、高原に広がる花畑。温室に大切に大切に育てられたバラの噎せかえるような濃い香りではなく、クリアで、けれど包み込むような柔らかな香り。たくさんの花の香りが複雑に混ざりあっているのに、不思議と透き通った香りがした。
まるで計算されつくした高級なパフュームのようだ。
香りは優しく身体を包んで、もう少しだけ、温かなこの場所に留まっていたい。
柔らかな何かに鼻を近づけて、すん、と吸うと、柔らかな甘い香りに身体中が満たされるようだった。
花の香りに癒されるなんて、全く自分らしくない。
けれど、この香りに、温もりに、柔らかさに、甘さに心が安らいだ。
好きだな。
純粋にそう思った。
意識が急激に浮上した。自然と目が覚めて、福田はぱちくりと瞬きを繰り返した。随分と身体の重みが消え、疲れが取れたようだった。
夢を見ていたような気がした。どんな夢だったか、あいにく覚えていない。夢を見た、そんな気がしているだけだ。
寝返りをうつと、部屋の入り口が開けっ放しだった。部屋のドアを毎回閉めるようなことはしない。部屋をオープンにしておくことに対して、全く気にならない。
一人暮らしだったし、スタッフが入るといっても男ばかりだ。だから余計に気にしなくなった。
ぼんやりと見つめる開かれたドアの向こうで、何度か誰かが横切っていった。
それは女だった。
誰かなんて一人しかいない。寝ている間に、別の違う誰かが部屋に入っていなければの話だが、違う誰かがなんてまるで思いつきもしないほど、女との交流はない。違う誰かだとすると、泥棒ということになってしまう。
が、その可能性はほとんどない。
「……何を見ているんですか」
福田が目覚めたことに気づいた蒼樹が、ぼんやりと焦点の合わない虚ろな目で、開かれたドアの向こうを見つめている福田に声をかけた。
欠伸をすると、自然と出てきた涙を親指で拭った。
「いや、別に」
「視線を感じているんですけど」
「気のせいっしょ」
「うそばっかり……」
はあ、とため息と共に言われた言葉を無視する。何を見ていたのかと聞かれても、何も見ていなかったと答えるほかない。
正確に言うならば、目には映っていたが、脳で認識されていない。要するにぼんやりとしていた、ということで、何を、と言われても答えようがない。
嘘ではなかったが、蒼樹の言葉を否定する気にもなれない。一を言うと、十で返ってくる女だ。福田はもう一度、くぁ、と欠伸をした。
「今何時?」
「七時です」
「……ん?」
確か、彼女が家に来たのが夕方六時頃である。仕事が終わって一緒に食事でもしようということになって、蒼樹が食材を買ってきたところだったはずだ。
福田は疲労がピークに達し、仮眠を取るといって、ベッドに入った。
カーテンを閉めた覚えはなかったが、ここ数日、開けていなかったのかもしれない。
なにしろ、締め切りが明けるまでの修羅場中の記憶が、すっかり抜け落ちてしまっているからだ。
けれど、完全に閉じられていないカーテンの隙間から漏れてくるのは、どう考えても光だ。
そう、明るい光なのだ。
「朝ですよ。」
「うそっ!」
「本当です」
勢いよく起きあがって、カーテンを開ける。蒼樹の言ったように、外はさんさんと輝く太陽があった。
ああ、なんてさわやかな朝なんだろう。
完全に蒼樹のことを放って寝入ってしまったのか。蒼樹と一緒にご飯を食べる約束を、完全に反故にしてしまった。福田は慌てて謝った。
「悪い」
「もういいですよ」
蒼樹の口調は多分に呆れが入っているようで、「もういいですよ」の意味に、呆れ以外の意味が含まれているような気がして考えてしまう。心なしか青ざめた福田を、ベッドサイドまで来た蒼樹は見下ろしていた。
さすがにこれはまずいだろう。福田は顔をひきつらせて、見下ろしてくる蒼樹を見上げていた。逢えば些細な言い争いをしてしまう。周囲から言わせれば、バカっぷるで、ケンカっぷるらしいのだが、なんだかそれは心外だ。認めがたいが、確かにつまらない喧嘩をしている。けれどそれは、喧嘩や言い争いというよりも、蒼樹と福田の二人にすれば、恋人になる前からの癖のようなもので、そもそも正反対の性格をしている為に、ぶつかってしまうのが当たり前になってしまっている。
「そんな顔をしないでください。怒っていないですから、大丈夫です。」
どんな顔をしているか、福田自身にはわからなかったが、相当情けない表情をしていたのだろう。
困ったように眉を八の字に下げた蒼樹の表情をみて、福田はようやくほっと息を吐いた。ひきつった頬を両手で擦っていると、蒼樹がころころと笑った。
「福田さんを慌てさせるなんて、私も成長しましたか?」
「俺は、蒼樹嬢関連で落ち着いていたことなんて、いろんな意味でないぞ。」
「そうですか?」
「そうだよ。悔しいことにさ」
「そうだったんですか。てっきり、私ばっかり慌てているものだと思っていたのですけど」
「それはないだろ?俺は慌てさせるようなことは、見に覚えがないんだけど?」
「それはお互いさまということでしょう。私だって、福田さんを慌てさせるようなことをしているとは、自覚をしていませんでしたよ?」
「よく言うよ」
人を好きになるということが、福田にとって蒼樹がほとんど初めてに近いことと言えた。だから、自分の嫉妬深さや、執着心を、蒼樹と関わるうちにことあるごとに、初めて直面し、困惑している。
蒼樹に振り回されっぱなしだ。
そういえばと、ふと福田は疑問に思って、それをそのまま口にする。脈絡のない話のせいで、蒼樹は少し眉間に皺を寄せた。
「寝た?」
「はい?」
福田が寝入ってしまってから夜が過ぎ、朝が来てしまったわけだが、その間、蒼樹はどうしていたのだろうと、気になったのだ。
まさか一晩中起きていたわけではあるまい。蒼樹だって、福田同様に仕事明けなのだ。
彼女は女性だから、福田のような無茶はあまりしない気がした。けれど、漫画家として彼女が再スタートを切るきっかけとなった作品──青葉の頃で、寝る間も惜しんで描け、手を休めるなと教えたのは、紛れもなく自分だ。
「ちゃんと寝た?」
「寝ましたよ」
「どこで?」
「言わなきゃだめですか」
「うん、だめ」
言いよどむ蒼樹に、福田は間髪入れず即答する。それでも口をもごもごと動かしている蒼樹に、「早く」と急かすと、蒼樹は観念して目をつむると口を開いた。
「……ベッドをお借りしました」
福田は、はぁ?と聞き返したくなったが、結局その言葉がでる前に、蒼樹の言った意味を理解してしまった。おかげで、は、の形に口を開いたまま、蒼樹を凝視するという、かなり間抜けな表情になってしまった。
要するにそれは、福田の寝ている隣に滑り込んだということだ。
こちらが意識のない間に、隣に蒼樹がいたということになる。
これは、随分と美味しい魚を逃がしたものだ。
意識がなかった自分を呪いたい。好きな女が隣で寝ているのに、爆睡していたなんて、それでは蒼樹も呆れるというものだ。
それに何より、男が廃る。
「……っ、そういうときは起こせよ!」
「気持ちよさそうに寝ているのに起こせませんし、起こすのだったら、一緒になんか寝ません。」
「とんだツンデレだな」
「ツンデレなんかじゃありません」
彼女がツンデレでなかったら、他に彼女を形容する言葉が思い浮かばない。かなりのツンデレ具合に、福田組の面々がかつて、一様に驚き、とある小さな事件に巻き込まれたことを彼女は忘れてしまっただろうか。
普段ツンとしたクールビューティーが、デレるという破壊的な状況を福田は蒼樹という人物に出会って初めて経験したことだ。
彼女のデレで、何人の男が破滅的な運命を背負ったかわからない。
彼女が与える破壊的、破滅的な影響とは必ずしも悪いものばかりではないが、男の心境としては、関わらなければよかったのに、と思うところもあるのだ。
彼女は知らず知らず、他人を自分の魅力にはめてしまう。
自分のその中の一人の人間なのだ。
認めたくないとあらがいていた時期があったが、今はもう、認めてしまった方がいいような気がしていた。明らかに、誰が見ても、自分自身を客観的に見ても、自分は蒼樹に惚れているのだ。
「起きてくださいよ。十二時間は寝ているのですから、寝たりないとは言わせませんよ。」
「……うるさいなあ……堪能してんだよ」
「何をです?」
「言わなきゃだめ?」
「だめです」
「でも、言わない。」
「なんですか!もう!」
周囲にはもうちょっと優しいはずの蒼樹が、なぜだか福田には少し冷たいのは、それが実は照れ隠しだった。強がりを言うのに、本当は弱いところを気づいてほしいと思っている。抱きしめると良い匂いがする。
そうして心底蒼樹に惚れているなんて、彼女に言ってやらない。
「ちょっと、またど触ってるんですか!」
「足」
「わかってます!」
ベッドサイドに立つ蒼樹のきれいな足を撫でた。
そこに蒼樹がいたら、自然と手が伸びてしまう。蒼樹のきめ細やかな肌に触れていたいと思う。触れて、抱きしめて、首筋に顔を埋めて、匂いを嗅ぎたい。変人ではない、と言い切りたいが、大変な癖がついてしまった。
「もうちょっと寝ていようよ」
「はあ?」
「こっちこいって」
約束を反故にしてしまったお詫びをしてやらなきゃ。今日はせっかくのオフだ。買い物をしたり、遊びに出かけたり、いろいろ予定は考えていたのかもしれないが、ベッドの中でごろごろしているのも、いいじゃないか。
非生産的で、無計画的だと蒼樹はぷりぷりしているけれど、ベッドにひっぱりこんで抱き込んでしまおう。
そうしたらきっと何も言えなくなってしまうに違いない。
蒼樹の右手を取ると、女性特有の柔らかさと、職業柄できたペンだこがある。その手が愛おしくて、福田は知らず笑みをこぼした。
だめだ。何かもが愛おしいなんて、この甘い匂いに酔ってしまったんだ。
心地よい酩酊感に、福田は笑いながら蒼樹をベッドに引きずり込んだ。
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