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お願い!お星さま

 場内に流れる女性のアナウンス。フォーム系オレンジの色の明かりが灯され、明るくなった場内で福田は眉間に皺を寄せていた。ききすぎるほどの冷房に冷えた腕をさすり、ぽつりと呟いた。
「かゆい……」
「虫にでも刺されましたか?」
 隣から見当はずれな返答が返ってきて、福田は即座に「違う」と言い返した。
「そーいうわけじゃねえよ」
 隣に座った女はきょとんとした顔で、首を傾げた。
 ピントはずれな返答に、福田は少しだけ呆れをもって彼女を見た。自分が言いたいことはそういうことじゃない。かゆいと言っても、虫に刺されたわけでも、外的要因でかゆいと言っているわけではない。
 単なる比喩だ。
 何か受け付けないときの、肌を掻きたくなるような衝動を言ったのだ。
 けれど彼女には通じなかった。東応大卒の才女でも、福田の心境は計れないようだ。
 聞きたがりで知りたがりの彼女は、どういう意味だ、と聞きたそうな素振りを見せていたが、福田は無視して立ち上がった。
「やっぱりよかったですね。織り姫と彦星の話。子供の頃から聞き飽きたというぐらい、知っている話ですけど、王道ですよね。ちょっと悲しくて……うん、やっぱり、参考になります」
「へーそりゃよかったな」
 劇場から出ると、ロビーには次の上映時間待ちの親子連れが目立っていた。福田と蒼樹のようにカップルで来ている者は、そそくさと劇場を出て、どこかレストランにでも行ったろうか。時刻はちょうど昼前で、福田も程良く空腹を感じていたところだった。
 今日はどこに食べに行こうか。この近くに何の店があったかな、と考えを巡らせていると、少し後ろを歩いていた蒼樹が隣に移動して、下から福田を見上げていた。大きな身長差がない故に、上目遣い程度の視線になる。
「福田さんは何か参考になりましたか?」
 上目遣いの蒼樹は、きっと自覚がないだろうが、福田はこの表情の蒼樹に滅法弱かった。ああ、なんでそういう無防備な顔をして近づくのだろうと、福田は顔が赤くなっているように感じて、照れ隠しに、ぐにっと蒼樹の柔らかな両頬を摘んだ。
「なにずるんでずがぁ」
 柔らかな頬は伸びがよくて、広がった顔に福田は吹き出した。
「俺の作品にメルヘンはいらねえってことがはっきりした」
 笑いながらそう言って、頬を摘んでいた手を離すと、蒼樹がぶすくれて、福田を睨みあげた。
 ああ、だからその目をやめてくれ、とは言えなくて、綺麗に整えられた柔らかな茶色の髪の毛に手を伸ばすと、ぐしゃっとかき混ぜて、その視線を隠す。
「福田さん!」
 蒼樹は案の定抗議の声を上げて、再度「何をするんですか」とぼやきながら、鞄の中から鏡を取り出して乱された髪の毛を手櫛で整えていた。
 映画館と似たような作りになっているロビーをぐるりと見渡すと、今月上映内容のパンフレットが、取って付けたような笑みを張り付かせた受付嬢が座っているチケットカウンターに置かれていた。
 パンフレットには、計三回の上映時間と内容が記載されており、午前、午後の上映は子供向けの内容であることがわかる。そうか、夕方からの夜の上映に来ればよかったか、と福田は後悔した。
 今日のデートは、前から蒼樹が行きたいと言っていたプラネタリウム鑑賞だ。前半は夏に見える星について、それにまつわる科学的な話から逸話までを、耳に心地よい女性アナウンスで説明されるものだから、ふわりふわりと気持ちよくなってしまう。場内は暗いため余計に眠気が福田を襲ってきた。なんとか眠気をやり過ごした後半は、七夕にちなんだアニメーション映画の上映だった。天井いっぱいに広がるスクリーンに映し出された映像は、映画館のスクリーンとは違った趣があった。けれど、結局福田はこのアニメで、腕をさするという行為をしてしまったのだ。
 七夕伝説を題材にしたアニメに、蒼樹はいたく感動し、恍惚の表情を浮かべ、あまつさえ涙を流していたなんて、腕というよりも、心臓のような身体の芯の部分がかゆくなる。
 蒼樹と福田の感性が真逆であることはわかりきっていたことだけれど、このメルヘンでファンタジックな世界に、どこに涙する理由があるのか、福田はさっぱりわからない。
「夢のない人ですね」
「うるせー、結局怠けて別れさせられた話だろうが。自業自得っていうか、結局どういうことなんだよ?意味がわからん。」
「怠惰や傲慢、欲、確かにそれぞれの思惑や業で起きてしまった悲劇ですけれど、ちゃんと、オチがあるじゃないですか。それぞれに、愛があるんです。一年に一回だけ、会うことが許される。ロマンチックじゃないですか」
「現実社会だったら、完全に社会から見放されてるよな」
「もう!だから、そうやって考えちゃうからロマンチックじゃなくなるんです」
 二人で言い合いしながら、自動ドアを抜け外にでると、湿度の高い、もあ、とした空気が二人を包む。
「あーっついなあ……」
「ですね」
 あまりの暑さに閉口する。エントランスの屋根の影から足を踏み出したくない。踏み出したら、さんさんと輝く太陽の日差しが、年中室内に篭りっきりという、実にモグラのような生活をしている二人に襲い掛かってくるのだ。
 繋いだ手が汗ばんでくるのがわかる。
「あおきじょー」
 間延びした声で呼ぶと、「何ですかー」と、蒼樹も同じように返事をした。いつでも、きっちりとした印象のある彼女がこんな声を出すなんて、珍しいことがあるものだ。それだけ、彼女もこの暑さに参っているのだろう。
「どっか涼しいとこ、入ろうぜ」
「どこにしますか?」
「んー……」
 当たりを見回すが、あるのはファストフード店ばかりだ。迷っていると、蒼樹が空いているほうの手で、一番手近な店をさして、
「あそこにしましょう」
 と言った。
「いいの?」
「別におしゃれなお店だけに行きたいわけじゃありません。そういうイメージがあるのかもしれませんが、ファストフードでも、ラーメン屋でも、私は一向に構わないんですよ?」
「そうなの?」
「福田さんが行きたいところに、連れていってくれればいいのに」
「あ、そ。」
 彼女が妙に素直に感じるのは、暑さのせいだろうか。福田は顔面に急速に熱がたまっていくのを感じながら、これは暑さのせいだと念じながら、歩きだした。
「そういえば」
 何とか話題を変えたくなって、わざとらしく声をあげた。
「星の演出くらい入れてもいいかもしれないな。俺の漫画にさ」
「GIRIにですか?どういう風に?」
「たとえば、大会前夜とか、もしくは合同合宿とか企画してもいいかもしれない、ライバルとたまたま出くわすとかして、満点の星空の下で正々堂々と勝負することを誓うとか、健闘を称えあうとか。……いろいろ想像できるな」
「それこそ、王道ですよ。王道マンガの王道」
「ベタかな?」
「いいと思いますよ。私はそういうのすごく好きです」
 感性が真逆の蒼樹と福田が、漫画の演出について話が合うことなんかほとんどない。臆面もなく福田の語る話に蒼樹が「好きだ」と同意を示してくれるところが新鮮で、福田は、今日は調子が崩れるなと思った。
 喧嘩や言い争いがしたいわけではない。それでも二人で激論を交わすことが当たり前になってしまって、こんな風に素直認められるなんて、なんだか調子が狂う。
 けれど、こういうのもたまにはあっていいかもしれない。端から蒼樹とは作風もなにもかも違うのだと、割り切っているものの、どこを向こうが合わなかったはずの点と点が一瞬だけでも交差してつながるということは、あながち進むべき方向は一緒なのかもしれない。
「あ」
 大通りの横断歩道を渡りきった目の前のファストフード店。蒼樹が声を上げた理由を、福田は店の入り口に飾ってあるものをみて、ああ、と納得した。
「短冊か……書いてこうぜ!」
「え!?」
「願い事。いっぱいあんだろ?」
 客引きをしている店員から短冊を受け取り、蒼樹に差し出した。
「妙に子供っぽいところありますよね、福田さんて」
「いいじゃねーか、好きだろ? こういうの」
 押し付けるように差し出した短冊を、渋々と言った様子で受け取ろうとしている蒼樹だったが、内心のうれしさを隠しきれていない。目元も口元も笑っていた。
 店の入り口脇に立てられた笹には、すでに色とりどりの画用紙の短冊が飾られている。
 短冊を書くために用意されている机で、すでになにやら書いている蒼樹の手元を覗こうとした。
「見ないでください!」
「何で?」
「恥ずかしいじゃないですか!」
「恥ずかしいこと書いてんだ?」
「違います!」
 赤くなった顔を俯かせて、蒼樹が何とか見えないように短冊を書く姿に、福田はにやりと笑いながら、自分の分も書くためにペンのキャップをはずした。
 結局お互いに短冊を見せないまま書き終わり、店内に入って一息ついたころ、蒼樹が言った。
「福田さんは何を書いたんですか?」
 付け足したように、「漫画のことでしょうけど」、と言った蒼樹の言葉に、明後日の方向を見ながら、「秘密。」とだけ言った。
「何でですか、さっきは私の短冊見ようとしたくせに」
「恥ずかしいことだから秘密」
「え」
 壁に貼られた販促用のポスターを見ている振りをしながら、なるべく淡々と言った。別に聞いていなくてもいい、むしろ聞き流してくれてればいい。何を言っているんですかとか、下品なことを書かないでくださいとか、蒼樹のお得意の明後日な想像をしてくれたらいい。自分勝手な考えを巡らせながら、ずっとポスターばかり見ているわけにもいかず、ちらり、と蒼樹を見た。
 ぽかんと口を開けて、絶句している蒼樹を見て、やばいと瞬間的に思った。
 ああ、これは、通じてしまったかもしれない
「あの、それってつまり……」
「何だよ」
「私とのこと書いてくれました?」
「……違う」
 盛大な間を開けて否定をした福田を、蒼樹はまじまじと眺め、そしてくすりと笑った。
「だーもーそういう顔すんな!にやにやすんな!くそっ、バレバレか!いやもう、まじで、そういう顔すんな、まじで照れる。」
「何を書いたんですか。教えてくださいよ」
「言わねえ。絶対。死んでも言うか!そういう蒼樹嬢は何書いたんだよ」
「私も恥ずかしいことなので、言いません」
 目が合うと、どちらかともなく視線を外した。ああだめだ、照れてしまってエアコンの利いた店内でも暑くて仕方がない。

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