あとほんの少しの一歩
それはデートの帰り道だったり、たまたま編集部で出くわしたときに送ってもらったり、稀に突然召集される福田組の集まりの帰りだったり。決まってそれは、帰り道で、彼に自宅まで送ってもらったとき、というシチュエーションでそれは起こる。
蒼樹はそれを意識し始めると、まともに福田の顔を見れなくなってしまうという状況に陥ってしまう。それを、福田が気付いているかどうか。気付いていたとしても、理由については思い至っていないようだ。
彼は案外鈍いのだ。
お節介が好きな性格が災いしているのか、自分のこととなると、超がつくほどに鈍感で後回しにする。
「蒼樹嬢?ついたけど?」
「え!あ!はい!」
ドッドッドッと腹に響く低いエンジンの振動音が、いつのまにかなくなっていた。
福田と会うときは必ず福田が家まで送ってくれる。電車にしろ、バイクにしろ、福田は律儀に蒼樹を家まで送ってくれていた。それが役目だというように、彼はそのことに対して不平不満を言ったことはない。
異性と付き合うということが皆無だった蒼樹にとって、それが恋人として普通のことなのか、そうではないのか判断することができない。気づいたことは、福田という男が案外まめな男だったということだ。
「おい大丈夫か?」
「へ、平気です」
一向にバイクから降りない蒼樹を不審に思った福田が、体を捻って蒼樹を見た。蒼樹はあわててバイクを降りた。ヘルメットを脱ぐと、夜風が髪をさらう。福田が手を差し出していて、ヘルメットを寄こせと態度で示しているのが何も言わなくてもわかった。
福田はヘルメットを抱えたまま、らしからぬ言動をする蒼樹に首をかしげた。
「本当に大丈夫か?」
疲れて反応が鈍いとでも思われているのか、身体の心配をするように聞いてくるので、蒼樹はそうではないのだと慌ててその手にヘルメットを押し付けた。
「あ、あの、ありがとうございました」
「おう」
バイクからも降りた。ヘルメットも返した。そうなると蒼樹はもう「今日はありがとうございました。楽しかったです。また電話しますね。さようなら。」そう言って、部屋に帰るしかないのだ。
けれどそれがなかなかできずにいる理由を、鈍くてまめな男は気付いていないのだろう。
ここ最近蒼樹を悩ませていることについて福田が思い至らないとなると、蒼樹だけがそう思っているのかと思って、益々言えなくなってしまう。
せめて雰囲気でもあればいいのに。そうすれば、どちらかともなく、口に出すことができるというのに、相手にその気がないのに口に出す勇気は、残念ながら蒼樹にはなかった。
「……何?」
「えっと、いえ……」
言い及んでいると、案の定言われてしまう。
「危ねえから早く部屋入れ。最近変なの多いんだから、蒼樹嬢はとろいんだから気をつけろよ。」
「とろいって何ですか。そんなことありません。」
「よく言うよ」
軽口を叩いて笑う福田の顔をこっそり見た。心配してくれるのはうれしい。口は悪いけれど大切に思われているのだと実感することができるのだから。恋することに憧れのつよい蒼樹には、そういった些細な優しさや気遣いに、よりその人を好きになるようなそんな気持ちが強い。
恋に恋する乙女。
恋することが楽しくて仕方がない。恋することは甘くて柔らかな綿菓子のように、ふわふわに包まれている。
そんな風に、乙女趣味全開で想像していたのだけれど。
一番の変化に驚いているのは蒼樹自身なのだ。
自分自身がそんな風に思うなんて、思いもしなかった。
コウノトリが赤ちゃんを運んでくる、なんて夢にも思わないが、それに近しい現実味のない恋愛イメージしかなかった。
よくもそんな乏しい恋愛経験で、恋愛コメディが描けたものだと言われそうだが、そこは周囲の協力と担当編集との二人三脚の賜物だった。もしくは、理想と妄想の賜物かもしれない。
いつまでも動かない蒼樹に痺れを切らした福田が言った。
「早く家に入ってくれないと、俺が帰れないんだけど」
「あ、あの」
バイクを降りてからまともに福田の顔を見れない。バイクに乗っているときから、まともに福田に向き合えない。
思い詰め過ぎて、緊張しすぎて、手汗をかいているような気がする。今手を繋いだら、確実に気持ち悪いだろう。
どうしよう、どうしたらいい。
なんでとか、どうしてとか、期待を持ってしまった恋する気持ちに、どうしたらブレーキをかけることができるのだろうとか、蒼樹はぐるぐる考えてしまって一向に言葉を紡ぐことが出来ない。
口に出すことが恥ずかしいことを期待してしまっていることが恥ずかしい。
もし、これを言ったら、相手は引いてしまわないだろうか、そう考えるとやはり口にすることができない。
潔く、「ありがとうございました」と礼を言って、部屋に帰って落ち込むしかないか。
半ば諦めて口を開きかけたときだった。
「何?別れ難い?」
福田の言葉に、蒼樹は開いた口がふさがらず、思わず福田を直視してしまった。
ニシシと笑って言う福田は、きっと冗談で言ったのだ。「そんなわけありません!」という、蒼樹の抗議の声を聞くことを彼は予想している。
そんなわけがあるか。図星をつかれて、そんなわけがあるはずがない。
時刻はとっくに夜だけれど、周囲が暗くよかった、なんて安心できるほど暗くなんてない。マンションのエントランスの目の前に横付けされたこの場所は、エントランスの植え込みにあるムードのあるライトだけでなく、運の良いことに街灯が設置されていた。
だから、真っ赤な顔した蒼樹の顔を福田が拝むことになるのは、それから一息もつかない短時間だったはずなのだ。
「え、ちょっと、」
真っ赤な顔を隠すように、もう一度俯いて服の裾を握る蒼樹の姿に福田が慌てているのがわかる。
「まじで……?」
なんだかそれが、ショックだ。やはり、自分だけ舞い上がっているのだろうか。
初めてつき合って、初めての恋人で、どうしたらいいのかわからないのは、自分だけなのだろう。
「福田さんは違うんですか」
「そういうわけじゃないけどさ……」
口調が恨み節になってしまうのは、冗談半分で指摘してきたことと、いつまでたっても蒼樹の気持ちをくみ取って、アクションを起こしてくれなかったことだ。
本当は、別れ難いとも少し違う。デートが終わってしまうことの名残惜しさではない。できれば、できることなら、
「か、帰らないで欲しい、と、言ったら、福田さんは、どうしますか」
「え、」
もう一歩踏み込みたい、だなんて。
蒼樹は今にも火が噴きそうなほど顔を真っ赤にしていた。体温が上昇するのを止められない。恥ずかしいにもほどがあるが、心の中にずっとあったのだ。
福田が自宅に送ってくれるたび、「お茶をしていきませんか?」なんて、あからさまな引き止めを脳内でシュミレーションしてしまうのを、止められなかったなんて、福田が知るはずがない。
言ってもいないが、少しぐらい蒼樹のそんな気持ちにも気付いてくれてもいいだろうに。
蒼樹はなかなかアクションに移せなかった自らを棚に上げて、福田を恨んだ。ふつふつと湧いてくる恨めしさに思わずぶつぶつと独り言を言いそうになっていた。
「いいの?」
「へ?」
「だから、いいのかって聞いてんの!」
「あっと、え?あの?何が……」
「何がじゃねえよ!帰らないでくれっていったの、蒼樹嬢だろうが!」
お茶でも飲んでいきませんか、そうやって遠回しに引き止めようとシュミレーションしていたのに、シュミレーションなんて恋愛の前ではほとんど役に立ちそうにない。
「言わないでください!恥ずかしいです!」
「先に言い出したの、あんただろ!」
「福田さんは気付いてくれもしないじゃないですか!」
「相手がいいっていうまで、手なんか出すか!」
「やらしいですよ!」
「やらしいこと考えてんのはお互いさまじゃねえか!」
「やらしいことなんか考えてません!」
「あっそ。じゃあ帰る」
「ちょっと待ったぁ!」
売り言葉に買い言葉のいつもの痴話喧嘩。マンション前で、すでに床につこうとしている人もいるかもしれない時間帯に、痴話喧嘩をするなんて迷惑極まりなかったが、当人たちはそんなことを考える余裕がない。
「うう、酷いです」
「酷いのはどっちだよ。俺だっていろいろ考えてんだよ」
「いろいろってなんですか」
「言わねえよ、恥ずかしい」
そうしてようやく蒼樹は気付く。掌で口元を覆い隠した福田の顔もうっすらと赤くなっていることに。
相手が照れていると、伝染するのは何故だろう。痴話喧嘩の勢いをすっかりなくして、蒼樹も顔を赤くして、「う」だの、「あの」だの、意味のない言葉ばかりが口をつく。
福田がわざとらしく咳払いをした。
「とりあえず、バイクどこに置こう」
「え、っと、そうですね、公園ところでいいんじゃないですか……?」
どうやら今日は、特別な日になりそうだ。
蒼樹はそれを意識し始めると、まともに福田の顔を見れなくなってしまうという状況に陥ってしまう。それを、福田が気付いているかどうか。気付いていたとしても、理由については思い至っていないようだ。
彼は案外鈍いのだ。
お節介が好きな性格が災いしているのか、自分のこととなると、超がつくほどに鈍感で後回しにする。
「蒼樹嬢?ついたけど?」
「え!あ!はい!」
ドッドッドッと腹に響く低いエンジンの振動音が、いつのまにかなくなっていた。
福田と会うときは必ず福田が家まで送ってくれる。電車にしろ、バイクにしろ、福田は律儀に蒼樹を家まで送ってくれていた。それが役目だというように、彼はそのことに対して不平不満を言ったことはない。
異性と付き合うということが皆無だった蒼樹にとって、それが恋人として普通のことなのか、そうではないのか判断することができない。気づいたことは、福田という男が案外まめな男だったということだ。
「おい大丈夫か?」
「へ、平気です」
一向にバイクから降りない蒼樹を不審に思った福田が、体を捻って蒼樹を見た。蒼樹はあわててバイクを降りた。ヘルメットを脱ぐと、夜風が髪をさらう。福田が手を差し出していて、ヘルメットを寄こせと態度で示しているのが何も言わなくてもわかった。
福田はヘルメットを抱えたまま、らしからぬ言動をする蒼樹に首をかしげた。
「本当に大丈夫か?」
疲れて反応が鈍いとでも思われているのか、身体の心配をするように聞いてくるので、蒼樹はそうではないのだと慌ててその手にヘルメットを押し付けた。
「あ、あの、ありがとうございました」
「おう」
バイクからも降りた。ヘルメットも返した。そうなると蒼樹はもう「今日はありがとうございました。楽しかったです。また電話しますね。さようなら。」そう言って、部屋に帰るしかないのだ。
けれどそれがなかなかできずにいる理由を、鈍くてまめな男は気付いていないのだろう。
ここ最近蒼樹を悩ませていることについて福田が思い至らないとなると、蒼樹だけがそう思っているのかと思って、益々言えなくなってしまう。
せめて雰囲気でもあればいいのに。そうすれば、どちらかともなく、口に出すことができるというのに、相手にその気がないのに口に出す勇気は、残念ながら蒼樹にはなかった。
「……何?」
「えっと、いえ……」
言い及んでいると、案の定言われてしまう。
「危ねえから早く部屋入れ。最近変なの多いんだから、蒼樹嬢はとろいんだから気をつけろよ。」
「とろいって何ですか。そんなことありません。」
「よく言うよ」
軽口を叩いて笑う福田の顔をこっそり見た。心配してくれるのはうれしい。口は悪いけれど大切に思われているのだと実感することができるのだから。恋することに憧れのつよい蒼樹には、そういった些細な優しさや気遣いに、よりその人を好きになるようなそんな気持ちが強い。
恋に恋する乙女。
恋することが楽しくて仕方がない。恋することは甘くて柔らかな綿菓子のように、ふわふわに包まれている。
そんな風に、乙女趣味全開で想像していたのだけれど。
一番の変化に驚いているのは蒼樹自身なのだ。
自分自身がそんな風に思うなんて、思いもしなかった。
コウノトリが赤ちゃんを運んでくる、なんて夢にも思わないが、それに近しい現実味のない恋愛イメージしかなかった。
よくもそんな乏しい恋愛経験で、恋愛コメディが描けたものだと言われそうだが、そこは周囲の協力と担当編集との二人三脚の賜物だった。もしくは、理想と妄想の賜物かもしれない。
いつまでも動かない蒼樹に痺れを切らした福田が言った。
「早く家に入ってくれないと、俺が帰れないんだけど」
「あ、あの」
バイクを降りてからまともに福田の顔を見れない。バイクに乗っているときから、まともに福田に向き合えない。
思い詰め過ぎて、緊張しすぎて、手汗をかいているような気がする。今手を繋いだら、確実に気持ち悪いだろう。
どうしよう、どうしたらいい。
なんでとか、どうしてとか、期待を持ってしまった恋する気持ちに、どうしたらブレーキをかけることができるのだろうとか、蒼樹はぐるぐる考えてしまって一向に言葉を紡ぐことが出来ない。
口に出すことが恥ずかしいことを期待してしまっていることが恥ずかしい。
もし、これを言ったら、相手は引いてしまわないだろうか、そう考えるとやはり口にすることができない。
潔く、「ありがとうございました」と礼を言って、部屋に帰って落ち込むしかないか。
半ば諦めて口を開きかけたときだった。
「何?別れ難い?」
福田の言葉に、蒼樹は開いた口がふさがらず、思わず福田を直視してしまった。
ニシシと笑って言う福田は、きっと冗談で言ったのだ。「そんなわけありません!」という、蒼樹の抗議の声を聞くことを彼は予想している。
そんなわけがあるか。図星をつかれて、そんなわけがあるはずがない。
時刻はとっくに夜だけれど、周囲が暗くよかった、なんて安心できるほど暗くなんてない。マンションのエントランスの目の前に横付けされたこの場所は、エントランスの植え込みにあるムードのあるライトだけでなく、運の良いことに街灯が設置されていた。
だから、真っ赤な顔した蒼樹の顔を福田が拝むことになるのは、それから一息もつかない短時間だったはずなのだ。
「え、ちょっと、」
真っ赤な顔を隠すように、もう一度俯いて服の裾を握る蒼樹の姿に福田が慌てているのがわかる。
「まじで……?」
なんだかそれが、ショックだ。やはり、自分だけ舞い上がっているのだろうか。
初めてつき合って、初めての恋人で、どうしたらいいのかわからないのは、自分だけなのだろう。
「福田さんは違うんですか」
「そういうわけじゃないけどさ……」
口調が恨み節になってしまうのは、冗談半分で指摘してきたことと、いつまでたっても蒼樹の気持ちをくみ取って、アクションを起こしてくれなかったことだ。
本当は、別れ難いとも少し違う。デートが終わってしまうことの名残惜しさではない。できれば、できることなら、
「か、帰らないで欲しい、と、言ったら、福田さんは、どうしますか」
「え、」
もう一歩踏み込みたい、だなんて。
蒼樹は今にも火が噴きそうなほど顔を真っ赤にしていた。体温が上昇するのを止められない。恥ずかしいにもほどがあるが、心の中にずっとあったのだ。
福田が自宅に送ってくれるたび、「お茶をしていきませんか?」なんて、あからさまな引き止めを脳内でシュミレーションしてしまうのを、止められなかったなんて、福田が知るはずがない。
言ってもいないが、少しぐらい蒼樹のそんな気持ちにも気付いてくれてもいいだろうに。
蒼樹はなかなかアクションに移せなかった自らを棚に上げて、福田を恨んだ。ふつふつと湧いてくる恨めしさに思わずぶつぶつと独り言を言いそうになっていた。
「いいの?」
「へ?」
「だから、いいのかって聞いてんの!」
「あっと、え?あの?何が……」
「何がじゃねえよ!帰らないでくれっていったの、蒼樹嬢だろうが!」
お茶でも飲んでいきませんか、そうやって遠回しに引き止めようとシュミレーションしていたのに、シュミレーションなんて恋愛の前ではほとんど役に立ちそうにない。
「言わないでください!恥ずかしいです!」
「先に言い出したの、あんただろ!」
「福田さんは気付いてくれもしないじゃないですか!」
「相手がいいっていうまで、手なんか出すか!」
「やらしいですよ!」
「やらしいこと考えてんのはお互いさまじゃねえか!」
「やらしいことなんか考えてません!」
「あっそ。じゃあ帰る」
「ちょっと待ったぁ!」
売り言葉に買い言葉のいつもの痴話喧嘩。マンション前で、すでに床につこうとしている人もいるかもしれない時間帯に、痴話喧嘩をするなんて迷惑極まりなかったが、当人たちはそんなことを考える余裕がない。
「うう、酷いです」
「酷いのはどっちだよ。俺だっていろいろ考えてんだよ」
「いろいろってなんですか」
「言わねえよ、恥ずかしい」
そうしてようやく蒼樹は気付く。掌で口元を覆い隠した福田の顔もうっすらと赤くなっていることに。
相手が照れていると、伝染するのは何故だろう。痴話喧嘩の勢いをすっかりなくして、蒼樹も顔を赤くして、「う」だの、「あの」だの、意味のない言葉ばかりが口をつく。
福田がわざとらしく咳払いをした。
「とりあえず、バイクどこに置こう」
「え、っと、そうですね、公園ところでいいんじゃないですか……?」
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